僕の吉祥寺話 40

さて、キャンディーメンの「御披露目」となった場所…それは当時吉祥寺にあった映画館「ムサシノ映画館」で開かれた「武蔵野最初のコンサート」と言うイベントで、 映画館の終わった後の「レイトショウ」という形で行われた

この「ムサシノ」という映画館は後に老朽化のため建て直されて「バウスシアター」となっている  主バウス催したのは吉祥寺で事業をしていたGというある女性だった 確か4~5日に渡って開かれて、武蔵野で活動していたミュージシャンだけでなく当時人気のあった関西のバンド「ソーバッドレビュー」(今は亡き砂川正和がボーカル、山岸潤史と石田長生という2人のスーパーギタリストがいた)とか「センチメンタル シティーロマンス」など多くのバンドやミュージシャンが参加していた
そこに我ら「キャンディーメン」は初日に登場と言うことになっていた

もうこの日を迎えるための準備や練習は万全・・・なはず あとはいかにインパクトを与えるか・・・僕らは一計を図った
それまで吉祥寺のミュージシャンと言えばスタイルは「ジーンズにワークシャツ」などが定番だった 実際普段の僕らはそういう格好だったが,そのコンサートに出た時僕らは全員スーツにネクタイという衣装で出たのだ

紹介されて僕ら3人がステージに登場したとき客席から「お~っ!」というどよめきのような声が上ヨルノムコウがったのを覚えている 僕ら、特にシバがスーツ姿で登場するなどとは誰も想像できなかったに違いない よし”掴み”はオーケイ あとは演奏のほうだ こちらは苦節約一年、食うものも食わず酒飲んでがんばったという自負がある これでウケなかったら田舎に帰る(僕の田舎はここだったけど)しかない!

演奏が始まった 客席のウケがすごくいい!

「ザ・キャンディーマン」のレパートリーはシバと僕の曲が大体7:3ぐらいの割合だった 僕もその頃はかなり持ち歌も増えていて、今でもたまにやってる「回転ドア」・・・これは最近では仲田修子がカバーしてくれてるが・・・などもその中に入っていた

実はジャグバンドスタイルを取っていたが僕らのサウンドはどちらかというとロックぽかったと思う

その頃、シバはジミ・ヘンドリックスに影響を受けはじめていたし僕は戦後のシカゴやアーバンブルースを盛んに聴いていた

だからバンドのスタイルとしてはウォッシュタブベースやウォッシュボードを使いながらたとえばビークオリーメントルズの前身だった「クオリーメン」が多分そうだったようにかなりロッキンしていたと思う

たとえば僕の「回転ドア」はその当時は早いテンポの8ビートで演奏されシバが切れ味のいいマンドリンのリードを入れていた

シバののちに定番レパートリーとなった「埃風」・・・この曲の元は多分ライ・クーダーだと思う ちなみにたこボーの曲「陽のあたるどこか」にメロディーはよく似ている この曲では僕はかなり練ったギターフレーズを考え出していた それはブルースでももちろんライ・クーダーのフレーズでもなく・・・今それを再現しろと言われても不可能なくらい妙なスケールを使って・・・今考えれば「プログレ」みたいなものだったかも知れない

そして、僕らの演奏が終盤に差し掛かったとき・・・突然一人の女性が大きな花束を抱えてにこにこ笑ながらステージに駆け寄ってきた それはこのイベントの主催者のGさんだった

あとで彼女から聞いた話 「本当に貴方たちの演奏素晴らしかった!このイベントに出たどの出演者より良かった それであの時急に”こうしてちゃいけないと”思って急いで花束を買いに行ってもらったのよ」

この「武蔵野最初のコンサート」が開かれたのは結局この年1回だけだったが、キャンディーマンの存在を知らしめるには充分すぎるくらいのインパクトを与えることができたのだ そして・・・

続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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