ことばと音  26日

僕はペンギンのPAマンであるが歌うたいでもある PAはまだまだ新米だが歌作りのほうは気が付いたらもう40年近くになる 色々な曲を作ってきたがその作業のなかでいつも考えさせられるのはことばと音とのかかわり方だ これがけっこう厄介でいい言葉を思いついてもそれがいい「曲」に結ばれるとは限らない 出来上がったものの何倍もどうしようもないものがあってそれらはまあどこへも持っていきようがないので記憶のゴミ捨て場に放置されてしまう・・・考えてみればずいぶんと「資源」の無駄遣いをしてきてるわけだ そんなジレンマを抱えている人間にとって今日のライブはとても感慨深いものだった まさにそういうものと真正面から格闘しているような出演者ばかりだったのだ
最初に登場したのはここに「ららばいてりい&さっちん」というユニットで出演しているテリーが組んだユニットたたずみ テリーのギターと歌にノモトとクロカワという2人の詩人が自分たちの詩を朗読で参加という形式だが、完全なポエムリーデイングと歌が混ざり錯綜する・・・ときには歌われる歌詞をそのすぐ横で朗読するなどと同じ言葉が並んでいるのにメロデイーがあるとないのでは伝わり方がずいぶんと変わってくるだなあと感じさせられたり二人の別の詩人が交互に読む詩がまるでひとつの曲のように聞こえてきたりと・・・「歌詞とメロデイー」という縛りに拘束されないと言葉ってすごく自由になってかえって音楽的に聞こえる・・・そんなことを発見した 個性的な演奏が多いペンギンでもこの試みはかなり面白い
2番目に登場したのは同じく言葉と演奏の融合だが今度は
現代詩ではなく俳句・・・と言えばもちろんわがペンギンマスター亜郎のユニット生半可だ 今回はいつもとちょっとスタイルを変えて庄太郎と一奈美の演奏がまず先行してその音を聴いて亜郎が俳句を選び朗読するという形をとった 演奏がBGMや効果ではなく逆に言葉を染めだしてゆく触媒になる・・・俳句という織物が今までその作者さえ見たことのない柄に染まってゆく・・・そんな可能性をすごく感じてしまった 今日読んだ中で僕が一番気に入ったのはこの句 「石踏んで ぬるりと独り 夏山河」 いいなあ
そして3番目は今やペンギンの「火薬庫」とでも言おうか「爆弾娘」・・・はまずいね(笑) 藤原愛の登場 今日は彼女みずから「鍵盤独り舞台」と称していたが本当に彼女はピアノの前に座ると世間のあらゆることから逸脱してひたすら自分の言葉と音の世界の表現のために鬼になる 女性だから般若かな・・・今までは彼女の表現するどろどろの闇の世界ばかりに気をとられていたが繰り返し聞くうちにその奥にある限りない優しさにたどりつく・・・そこへの道のりを導くのはやはりその激しく時には吐き捨てるように送り出される言葉なのだ 鬼と仏は表裏一体なのだよね
そして、ひたすら音だけを追求してゆくとやはり「言葉」にたどり着く・・・そういうことをはっきり解らせてくれるのが最後に登場した石田幹雄(p)と大路貴久(ds)の2人だ マイクはいっさい使用しない まったくの生音同士40分間のぶつかりあい・・・いや、それは「対話」だった 演奏は最初本当に静かな静かな音から始まる 何の説明もない 聴く側が勝手に想像すればいいのだ 僕にはそれがまるで禅寺の朝の風景のように聞こえた やがて演奏はかすかに徐々に激しい対話・・・激論(?)になってゆく しかしそれはののしりあうのではなくどんなに声を荒げても常に相手の言葉に細大に耳を傾けている その音は最初から最後までずうっと「対話」だった だからそこらへんのただ勝手に音を撒き散らす演奏者たちとは違う・・・だから聴いている全員がじいっと片時も耳をそらさずに聴き入っているのだ すごく密度の濃い時間を密度の濃い人々と過ごす・・・そう、二酸化炭素の密度も濃くなってきたぞ・・・@penguinhouse・・・今日の打ち上げはまた一段と大きな「輪!」

・・・そして高円寺ライブハウスの夜はふけていった・・・

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