僕の吉祥寺話 44

さて、色々な話題に飛んでしまったりしててしばらくご無沙汰していた「僕の吉祥寺話」また再開します

そうそう、ちょうどこのあいだ行ってきた吉祥寺バウスシアターの「LAST SHOW」そこに出演していたメンバーが奇しくもこの話の続きに大きく関っていたんだ

また少し話をその時のことに戻すけど、ちょうど僕が尋ねていったときバウスのホールの客席でリハの模様を眺めていたのがシバとガンさんだった
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あ、わからない人のほうが多いだろうから一応説明しておくけど左写真で僕の横に居るのがシバ、そのとなりが佐藤博ガンさんだ

なんという運命の悪戯だろうか 今から40年近く前にちょうどこのガンさんのレコード「青空」のレ040コーディングがあった同じ年の秋(だったと思うが)、僕とシバそして須田優の3人はここ、このバウスシアターがある場所にあった映画館「ムサシノ」で「ザ・キャンディーマン」として華々しくデビューした・・・というのは「吉祥寺話40」で話したが、このときシバとはその話ですっかり盛り上がってしまった

「あの時さ、最初ステージが真っ暗で俺たちが”キャンディーマン”のテーマソングにあわせてステージに登場して矢島くんが”ワン・ツ・スリー!”ってカウントすると照明がばあっと点いて同時に演奏始めたんだよな」

「そうそう、それで客席から”お~っ”と声が上がって」

「楽しかったよなあ」

「楽しかったねえ」

横でそんな話を目をまん丸にして聞いてるガンさんも笑顔だ

そう・・・あの日その場所で一躍「時の人」のようになったキャンディーマン

その後演奏の依頼が次々とやってくるようになった その年の秋の早稲田大学の学園祭では「大隈講堂」でのコンサートに出演、あちこちのライブハウスにも出演 もう順風満帆だった

そして、ガンさんの「青空」を出版した「ベルウッドレコード」から「キャンディーマンでレコード出さないか」という打診まで来るようになった

僕はもう有頂天だった 「メジャーレーベルからレコーディングの話が来るってことは・・・オレもついに有名人だ!」・・・ははは

ところが・・・

意外な結末が待っていた ある日、シバが突然こう言いだした

「オレはもうやりたくない。キャンディーマンは解散する」

寝耳に水だった な、なぜ? 理由がさっぱりわからなかった ライブとかの評判も上々だった

その時点では同時期に活動を開始した「高田渡&ヒルトップストリングバンド」にひけをとらない人ワタル気もあったのだ

ただ、シバという人は一度言い出したら絶対に曲げないという一徹でガンコなところがあった

それに元々このグループは彼の「鶴の一声」で始まったようなようなものだから、彼がそういうなら仕方ない・・・のは解ってはいたがあまりに急な話だった

結局キャンディーマンはそのまま解散、その少しあとでシバは自分ひとりだけでアルバム「夜のこヨルノちら」を制作発表した

正直僕はかなり彼を恨んだ 俺たち合宿までして頑張ったじゃないか・・・色々言いたいことはあったが・・・結局僕らは諦めるしかなかった

それからシバとはほとんど断絶状態になった 次の年の春、大阪の春一番で彼も僕も同じ日のステージに出演していたが一言も言葉を交わすことはなかった

彼と和解できたのはそれから何十年も経ってからだ なんとなぜかある日ある人のブッキングで僕はシバと一緒に四日間の静岡~愛知ツアーに行くことになったのだ

そのツアー先で僕らは久しぶりにすごく一杯喋った そして僕は彼に訊いた もうわだかまりや恨みもとっくに消えていたから

「ねえ、なんであのときキャンディーマン急に解散することにしたの?」 シバはこう答えた

「キャンディーマンは素人すぎたんだよ 若かったってことだねえ」

なるほど・・・今の僕も同じ意見だ    続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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