それから数週間後、僕は仲田修子に誘われ目黒にある店に出向いた もちろんギターを抱えて
教えられたお店に到着 そこはライブハウスというより都内にある洒落たカフェかバーといった雰囲気の店だった 来ているお客も今までの「ぐゎらん堂」「や「のろ」と違って垢抜けたわりと普通の人たちばかりだった そこで僕は修子に紹介されて何曲かを歌いそして彼らの演奏にも数曲ゲストで参加しギターを弾いた それは、店の雰囲気もお客の反応も含めてすべて新鮮で今まで経験してこなかったレスポンスを感じた そして、その後も色々な店で、たとえば同じ吉祥寺でも今まで出たことのなかった「マンダラ」にも一緒に出演させてもらったりしていた
しかし、僕にとって一番刺激になっていたのはやはり彼らの演奏を間近で見られたということだった
最初「やる気がなさそうに」見えたベースの増田はあとでわかったのだが、やる気が無いんじゃなくて一種の「ツッパリ」パフォーマンスをしていたこと・・・有海は北海道からギター1本抱えて上京し両国の「フォークロア・センター」でたまたま修子と出会いそれから一緒にやってることなどはあとで知った
でも、なんと言っても僕が一番興味をそそられたのはやはり仲田修子の曲と演奏だった
本当にどれだけあるのか・・・と驚くほど彼女のオリジナル曲のレパートリーは多かったし、ブルースだけじゃなくて、ジャズ、タンゴ、ラテン、ロック、はては邦楽の長唄のようなものまで、彼女の作る曲にはそれこそ様々な音楽のエッセンスがぎゅう~っと詰まっていた
それをまた歌うとき、曲調に合わせてあるときは優しくスイートに、ある曲では烈しく攻撃的に・・・そんなスタイルでのやってしまうそしてその本当にクリアーでよく響く声と音程の素晴らしさに僕はいつもいつも驚かされつつ「この人と一緒にいるだけでもすごく勉強になる」・・・などと思っていたのだ
そして、今の修子ライブを聴きに来てる方でも多分ほとんどご存知ないと思うが、当時の彼女のギタープレイは本当に素晴らしかったのだ
あのYAMAHAのFGという名器を時にはまるで打楽器のようにガンガンかき鳴らし、時にはすごく繊細なメロディーを奏でたり・・・あの「国立第七養老院」では彼女の「ジャンカジャッカ・ジャン!」という独特のリズムパターンを持ったギターがその曲を本当にパワフルでグルービーなものにしていた
修子自身はその当時から「自分のギターはたいしたことない」・・・と思い込んでいたらしいが、今残ってる70年代前半に渋谷の「屋根裏」でやった彼女のライブの音源を聴いても歌のバッキングとしてのギターのテクニックやセンスはもう完璧だった 今ではまったく弾かなくなってしまったギターだが・・・それで僕は今修子のバックで弾く時はなるべくあの当時の彼女のギターワークに近づけることを心がけて弾いているのだ
さて、そうやってなんどかライブやセッションなどを一緒させてもらってたある日、修子からこんな誘いを受けた
「よかったら今度、私たちのアパートに遊びに来ませんか」
僕は喜んでその誘いを受けた 「じゃあ来週の○曜日に・・・」
そして訪れたそのアパート・・・それが僕のその後の人生にどれだけ大きな変化を与えることになるのか・・・その時は知るよしもなかった
高円寺ライブハウス ペンギンハウス