僕らの北沢話  15

「天敵」という言葉をwikipediaで検索してみると次のような説明になる

天敵とは、特定生物の死亡要因となる生物種のことである。

“生物学”以外では、不倶戴天の敵、自分が苦手とする人という意味などで使われることがある。

僕が使ってるのは当然「後者」としての意味だ

苦手・・・というか、全然かなわない・・・お手上げといった感じかなあ・・・それは

井之頭公園のステージの前のベンチにいつもいるある人々がいた

それは「将棋」を指しているおじさんたち もう多分何十年も前からそこが彼らの「指定席」だったよ20140413-2うで、それもステージから見ると最前列のそれもど真ん中にいつも陣取って、数名から十数名ぐらいの人数がベンチをまたぐ姿勢で座り真ん中に将棋盤を置いて「勝負」をしていた

それは僕らがコンサートをしている日に限って・・・ということではない ほぼ毎日、必ず決まった時間帯にそこにいていつも将棋をしているのだ だから彼らにとってみれば「なんだか今日は目の前でうるさいことやってんなあ・・・」というぐらいの思いだったに違いない

・・・で、「天敵」と言ったのは彼らが僕らの邪魔をした・・・というわけではまったくない

むしろ僕らのほうが彼らからすれば「邪魔」だったに違いない

とにかく何が困るって、彼らは目の前のステージで色々な演者がどんなパフォーマンスをしようが一切「無視!」・・・というかまったく動じないというか「蛙の顔に小便」というかステージのまん前に居ながらこちらを一切見ることもしない

けっこうそれで心が折れてしまう演者もいたのだ 今思えば彼らは実にいいことをやってくれていたと思う それはよくライブハウスやイベントにありがちな「楽屋落ち」や「馴れ合い」というものを一切認めない 徹底的に「他者」であり通すことで演者たちに「人に観てもらうということ、そして認めてもらうことはどれだけ大変なことなのか」を思い知らせてくれていたわけで、僕も今になると「あの人たちこそ本当に観客の一番原点なのだ」と思えるようになった

しかし、当時の僕らはもちろんそんな境地にはまったく達していない・・・ただただ歯ぎしりして「あいつら今日も無視しやがった」というばかりだった

ところがある日、仲田修子がステージにあがった 彼女はもうだいぶ前からこのイベントに関しては「裏方」に徹していて、進行やMCをやることはあっても滅多にステージに上がって歌うこ00inokashira 041ともなくなっていた と言うのはその頃毎月かなりの出演希望者が来るようになって、それこそ先着順で決めていたので当日来ても出演できない人も出てくるという事態が起きはじめていたからだ

だから彼女がそこで歌うのは本当に久しぶりだった 相変わらず目の前では一連の皆さんがまったくこちらには振り向かず将棋に集中している

すると彼女がやおら歌い始めた それはなんと淡谷のり子の「別れのブルース」 澄み切って歯切れのいい声が公園の緑の中へまるで五月の風のようにすうっと渡っていく

すると・・・今まで将棋に没頭していたおじさんたちの手がぴたっと止まった そして初めて、「ほー・・・」というような顔で彼女のほうを見たのだ 彼らは彼女が歌ってるあいだその歌に聴き入った 彼らがそういう反応を示したのはあとにも先にもこの時だけだったが・・・「すげえ~!」僕はそう思った

やっぱり格が違うだなあ・・・それは散々「修羅場」をくぐってきた(「ダウンタウンブルース」をお読みになった方にはわかると思う)彼女だからできたんだ・・・ということの本当の意味を理解するには僕もあと何年もかかったなあ

さて、この「ロウソサエティーコンサート」には本当に色々な人たちがエントリーしていた 多くは当時流行っていた「フォーク系」の弾き語りの人が多かったが、中にはママさんコーラスの人たちとかカラオケを持ってきて演歌を歌う人とか・・・まさに「ノージャンル」だったのだ

そして、ある日1人の若者がやってきた ギターを抱えてオリジナルの曲か何かを歌ったその青年はまだ幼さの残る表情で妙に人なつこかった そのあともほぼ毎回このイベントには参加していた彼はその後、僕らが高円寺でお店を始めるとすぐにそこの常連になった まだ高校生だった彼はその後ラテンミュージックとくに「サンバ」に傾倒してゆきやがてそういうスタイルの音楽をはじめた それからしばらく経って再会したとき彼は「スティールパン」を弾くプレイヤーになっていた

おわかりだろうか・・・今もペンギンハウスに「PAN-T」などで出演している彼 小西弘人 のことだパンティー

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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