僕らの北沢話  17

前の「僕の吉祥寺話」で触れたが仲田修子たちと僕の出会いは吉祥寺の「ぐゎらん堂」だったgazo11

その頃何度かそこに出演していた彼女たちだったが、ところで彼らとぐゎらん堂に多く居た「武蔵野グループ」たちとの接触や交流はあったのだろうか

結論から言うとあったことはあった しかしそれは進展することは決してなかった それには理由がある 当時のある出来事がからんでいた

当時かなりのペースでライブ活動を進めていた彼らはどこへ行ってもお客が満席になりそして大受けする・・・そういうライブを繰り広げていた そしてある大学の学園祭に彼ら「ペーパーナイフ」が依頼をうけて出演したことがあった

その日のプログラムは「仲田修子&ペーパーナイフ」ともう一組「高田渡&ヒルトップストリングバンド」が出演メンバーだった ペーパーナイフがオープニングアクト、ヒルトップがトリを取るという構成になっていた ヒルトップは高田渡という吉祥寺を代表するような大物シンガーが74年ごろに組んだアコースティックユニットでメンバーは高田渡(vo/g)、佐久間順平(mandolin/

fiddle)、小林清(banjo)、大庭珍太(wb)の4人でオールドジャズのスタイルなどを取り込んだ演奏はかなり人気を集めていたので学際の企画者も「これは盛り上がる」と見込んでいたのだと思う そして「ペーパーナイフ」のほうはほぼ無名に近かったのだが企画スタッフの一人がよく知っていて「すごくいいのでゼヒ」と推薦したらしい

当日・・・大学の会場に到着した修子たちは楽器を持ち指定された出演者の控え室に向かった

そこで彼らは信じられない光景を目にした

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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