僕らの北沢話  23

Mがプロデュースするレコーディングの録音が始まった 場所は高田馬場に今もある「BIG BOX」003の中にあったスタジオ 先日すごく久しぶりにこ001の場所を訪れてみた

BIG BOXの外観のあの妙に冷たい感じと威圧感のある様子は当時のまま 上のほうの階にあったボウリング場はまだ営業していた ただ、最上階にあったはずのスタジオはもう無くなっていてそこはレストランや酒場がならぶ「グルメフロアー」になっていた

余談だが、駅前にあった「昼間は立ち食い蕎麦屋/夜は立ち食い寿司屋」という奇妙なお店は今009でも当時と変わらず営業していた

その高田馬場まで僕らがいたアパートから行くには小田急線で新宿まで出てそこから山の手線に乗り換えるのだが、ある日「今日は今からレコーディングに行く」という矢先、困ったことが起きた なんと修子とメンバー、3人が高田馬場まで行く電車賃がないのだと言う

べつに普段はそんなにお金に困るような状態ではなかったのだが、なにしろ当時の修子の「今からステーキが食べたい!」などという気まぐれなかなりムチャクチャな生活がたたり、この日は気がついたらサイフの中身がカラッポ!という事態になってしまっていたのだ

幸い僕のサイフに少しばかりの小銭が入っていたのでそれでなんとか全員が無事に高田馬場まで辿り着いた スタジオに入るとそこにはMと彼が手配したレコーディングエンジニアそして 「J 」がいた

J は修子の事務所から修子のマネージャーとして付けられていた女性で、某音楽学校を卒業したとかで、それもあってか修子を含め自分がマネージメントしているミュージシャンたちをちょっと見下しているようなところがあって、彼女が持つ文学少女の成れの果てみたいなフィーリングが僕はどうも苦手だった

修子が J に「交通費が無くて・・・悪いけどバンスしてくれませんか」みたいなことを言ったのだと思う 「バンス」というのは業界用語で「前借り」のことだ

すると J がいかにも機嫌悪そうに嫌々金を渡した・・・なんだかそのスタジオ内に妙な空気が充満していたのをそのときどちらかといえば外野だった僕も感じ始めていた

そして、とんでもないことが起きていたことが発覚した

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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