僕らの北沢話  29

ある日、北沢のアパートにそのときの音楽仲間が集まった メンバーは修子、有海、増田、瀬山、流し台僕、そしてコンビで演奏活動をしているKとHそれに新聞青年のA次・・・そういった顔ぶれだった

そのメンバーを見渡しながら修子が口を開いた

「今回の色々な騒動を経験して思ったことがあります とにかく私たち音楽をやっている人間は社会的にもすごく弱い立場にあって音楽で自分達の表現したいことをしようと思っても色々な障害が立ちはだかって、自由にそういうことができない。とくに今のメジャーとか言われてる連中の無知無教養から来る理不尽な横暴さが今の日本ではむしろちゃんと音楽活動をしたいと思っている才能あるミュージシャンたちを潰すような事態になっています。こうしたことから今考えられる一番の対応は自分達で自分達のシーンを作り出していくことしかない・・・そう思いました。」灰皿

話はいよいよ核心に入って行く

「それで、私はこう決心しました。自分達でライブハウスを作ろうと。これから私たちは皆で働いてそのための資金かせぎをしようと思います。どれくらいの時期でどれくらいの予算が集まるかはまだ判りませんが、とにかくかなりタイヘンなことは間違いないと思います。だから無理強いはしません。私の計画に賛同して一緒にやってくれるか、くれないかは皆さんの自由意志で決めてください。」

ここでその責任範囲で形態が3通りに分けられた まずはこの計画にフルで参加する「中核メンバー」そしてある程度強力してもらう「外廓メンバー」そして今回の計画には参加しない・・・この3つの選択肢があった

僕と有海、増田の3名は中核を選んだ 瀬山はちょうどその直後にアメリカに音楽修行に行く予定が決まっていたので資金は出すが戻ってから参加するという選択 A次は「外廓ならできる」という決断 そして予想はしていたがKとMは参加しない・・・そういうことになった

これで決まった その後修子とどれだけ長い付き合いになるかはその時は誰も想像がつかなかっScan0016たが・・・長い歴史の最初の1ページがまさにそのとき開かれたのだった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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