僕らの北沢話  43

「ライブハウス猫屋敷」・・・そうなんだ 猫屋敷はまさにライブハウスとしてオープンしたのだった

ただ、当時は出演者を集めるのもなかなか大変 そこでライブは週一回・・・何曜日にやってたのかは忘れた

当時すでに「ぴあ」「シティーロード」などの紙媒体の情報誌が発行されていた その中には「ライブハウスのライブスケジュール情報」というコーナーもあったのだが猫屋敷はなんとかそのエリアの中に入れてもらうことに成功していた それは多分あの井之頭公園での「ロウソサエティー月例コンサート」の実績が評価されてたからじゃないかと思う 月例コンサートはたしか猫屋敷がオープンされてからもしばらくは続けてたはずだ やがて発展的にこのコンサートはその使命を終えた

ここに1枚の写真がある 猫屋敷で僕ジミー矢島がライブをやっているところだScan0026

右でギターを弾いてるのは通称「テルちゃん」という人で、素晴らしいブルースギターを弾いていた 後に猫屋敷の店長になるのだが・・・店の奥の手前がメインステージ、その奥の引っ込んだところもステージになっていたが、例の柱が邪魔をして後の客席からはほとんど見えなかった

この柱がかなりのリスクとなってライブを見づらい状況になってたし、とにかく狭かったのでここでのライブはもっぱら弾き語りのソロやせいぜい2~3人のアコースティックユニットしか出演できなかった もちろんPAなんて立派なものはなくて簡単なボーカルアンプにマイクがあるだけ・・・まああえて言えばマイクなくても充分聞こえるくらいのスペースだったのだが(笑)

そういうこともありそして当時の修子のポリシーとして猫屋敷のライブの出演者にはチャージ全額バック、飲み物も食べ物もお金を取らない・・・そういうやりかたを最後まで一貫して貫いていた

そしてこんな狭い条件は決して良くないハコだったが喜んで出てくれる出演者もけっこう居てくれた 今もペンギンハウスに出ている小西弘人(PAN-Tや半PEKO)は当時はサンバのユニットを組んでいた 今はソロで出ている地味KENは当時はBLUES MARKETというユニットで出演していた あとブルース系だけに留まらず多方面で活躍中の町田謙介は当時は「ねずみ男」という名前で、アコースティックギタリストとして現在も活躍中の佐藤正美なんて人もよく出演してくれていた
マチケンサトウ

よく僕はちょっと自虐的な言い方で「日本一小さいライブハウス」と言っていたが、その裏では「こここそが日本の音楽状況を正しい形で支えている梁山泊のような場所だ」というプライドを持っていた

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする