さて、シカゴをベースにそのご順調に音楽活動を展開していったビッグ・ビル・ブルンジー
1040年代に入るとシカゴ以外の地域でもさまざまなブルースが発展をとげていた
そのひとつの主に西海岸の地域や南部のカンサスあたりで流行りはじめた「ジャンプブルース」というスタイルはそれまでのブルースにブラスセクションを導入してジャズっぽいスタイルで人気を広げていた
たとえばその当時だと「ルイス・ジョーダン」「キャブ・キャロウェイ」などの人気ミュージシャンが居たが、彼らに共通するのはブルースマンとしてより「エンタティナー」としての面が強いということだ
これらは特に都会部の黒人層に大きな人気を得ていたがそれらがのちのR&Rへの土台になっていたことも確かだろう
40年代後半になると「Tボーン・ウォーカー」が登場し、ブルースギターにエレキを使うということも主流になってくる
シカゴに居ながら当然そういう流れにも気がつかなかったはずもないビルは積極的にそういうスタイルも取り込んでいった
ホーンセクションを入れたバンドスタイルで演奏された”どこかで聞いたことあるようなタイトルだが
ビルがエレキを弾いている「ウォッシュボード・サム」の曲
下の写真 エレキギターを抱えているのがビルだ
こうしてさまざまな新しいものを取り込んで常にシカゴのブルース界に君臨し続けていたビルだったが、やがて彼のそういうスタイルに拮抗する新しい勢力がシカゴに現れ始めた
高円寺ライブハウス ペンギンハウス