ギターを弾こう   79

シカゴで新しい黒人音楽の変化や誕生が起きていたその同じ頃、もう少し東へ行った大都市ニューヨークではまた別の動きがあった

1930年代からギターを抱えてアメリカ中を放浪していた白人のフォークシンガー「ウディー・ガスウディーリー」は39年頃ニューヨークに辿り着いた そこには同じ白人のシンガー「ピート・シーガー」と出会う

ピートピートはシンガーとして活動するだけでなくアメリカ中のフォークミュージックを掘り起こす”フィールドワーク”作業も行っていた ピートは同じような考えを持つ仲間らと「アルマナック・シンガーズ」というグループを結成していたが、そこにはウディーをはじめとして様々なミュージシャンが参加していた 彼らは人種に対していっさいこだわりを持たなかったのでそこには黒人のミュージシャンもいた その中の1人が「ジョッシュ・ホワイト」だった

1930年代からブルースミュージシャンとして活動していたジョッシュだが、この頃は白人に混じっジョッシュて「フォークソング」を主に歌っていた 彼の甘いマスクと超絶なギターワークそして白人ウケするような歌い方で一躍人気者になっていた


それを・・・ビッグ・ビルも見ていたのかどうか・・・はわからない

だが、その頃から彼は今までのエレキギターを捨てバンドもやめソロでアコギでふたたび活動を始めた

biggubiru元々がギターのカリスマだったビルの演奏はすぐに評判になり彼の思惑どおり主に東部の白人たちに支持されてゆく しかし、このことが後に「ビッグ・ビルは白人に迎合した」・・・と悪い評判も生むことになる とくに70年代に入ってからの日本でもブルースブームが起きたのだがビルを指して「ああなっちゃお終い」というレッテルが主に音楽評論家の「中村とうよう」を中心に貼られて、そのおかげで戦前の彼の功績にまでマイナスイメージがつくようなことにまでなってしまった

確かに今その当時の彼の演奏を聴くとその持って回ったようなわざとらしい歌い方が鼻につくし、いかにも白人に迎合した「アンクル・トム」的な黒人のイメージはある

だけど、彼のあの力強いギターは1930年代初期に彼が残した演奏とさほど変わってはいないような気がする それにまで「ダメだ」と言ってしまうのはどうかと思う

その後、しばらくは順調に活動をしていた彼だったがやがて”喉頭ガン”にかかり声を失いそして1958年に亡くなる

思えば時代の波の頂点にも居た彼だが最後はちょっと運がなかったのかも知れない

ビッグ・ビル・ブルンジーが亡くなって12年後 ロサンゼルスで活動していたロックバンド「ジェ419J0ooLqyL._SX425_ファーソン・エアプレイン」のギタリスト「ヨーマ・コーコネン」が「ブルースをやるために」組んだアコースティックユニット「ホットツナ」・・・そのデビューになるライブアルバム「Hot Tuna」

ここでギターのヨーマはあきらかにビッグ・ビルの影響を受けたのがわかるギターを弾いている

クラプトンそしてなんとそれからまた20年以上経った1992年 あの「エリック・クラプトン」が出したアルバム「アンプラグド」によって実に40年ぶりにビッグ・ビルの名曲「Hey Hey」が大勢の人の耳に飛び込んできたのだ つい最近だが僕はこれを日本の若いギタリストがカバーするのを見たことがある

そしてここにも熱烈な彼のフォロワーがいる ジミー矢島・・・ 彼のギターの弦を弾くときのあのアタックの強さ 突っかかるようなミシシッピビートそして”イナタイ”んだけど妙に魅力のあるなギターフレーズ・・・

どんだけ影響を受けたか・・・あらためて思う ビッグ・ビル・ブルンジーは偉大だったと

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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