みんなテレビっ子だった    10

若い人たちは50〜60年代の日本がどんな感じだったかよく知らないと思う
もし知りたければ映画の「オールウェイズ三丁目の夕陽」あるいはその原作の漫画それに滝田ゆう三丁目の漫画なんかが参考になるかも

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とにかくその頃の日本はまだまだアメリカに比べると貧しくて遅れていた
当時「三種の神器」と言われてたテレビ、冷蔵庫、洗濯機などはやっと各家庭に行き渡り始めたくらいでまだ家に風呂がなくて銭湯に通う家庭も多かったし、自動車なんかまだまだぜいたく品で、そんなに普及してなかったのだ
だから当時のテレビから流れてくるアメリカのドラマの中に出てくる向こうの家庭の様子は本当に憧れの的だったのだ
今では考えられないけどあの当時はものすごく多くのアメリカ番組がテレビで放映されてたんだ
どれくらいあったかちょっとわからないけどとにかく凄い数だった
ホームドラマも一杯あって中でも人気があったのは「うちのママは世界一」「ビーバーちゃん」「奥様は魔女」「ルーシーショー」などなど
「ビーバーちゃん」

「ルーシーショウ」


とにかくそこに出てくるアメリカの家庭には大きなリビング、大きな車、お洒落で素敵なインテリア、何でも揃ったキッチンには巨大な冷蔵庫があり、中にはそれこそ贅沢な食料品がぎっしり・・・
それを見ては「いいなあ」と、ただただ憧れるだけの日本の一般庶民は「いつかはああいう暮らしがしてみたい」と心底思っていたのだ
そんな憧れのアメリカのさらにセレブな人たちを描いたドラマがあった
ところがその登場人物はとんでもない家族だった
それは・・・おっと、前置きが長すぎたので続きは明日ね(笑)

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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