縄文小話      3

たとえば「縄文人は動物を捕ったり木の実を拾ってて暮らしていた」という考えが一般的だが
井戸尻考古館が進めている研究では今から5000年前にすでに農耕生活をしていた 稲は弥生時代に大陸から渡ってきた人々がもたらすまでは無かったのだが、それ以前にも「アワ」「キビ」「ソバ」などが栽培されていたということがわかっているし、クリやクルミなどの天然の食材も集落の周辺に樹を植えて栽培していたということがわかってきている 井戸尻遺跡からは石を使った斧や鍬などが大量に出土されている
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ところで、この井戸尻のまわりにも多くの縄文遺跡が集中している 井戸尻から北西に行ったところに「尖石遺跡」ここからは土器に混ざって国宝と指定された「縄文のビーナス」と呼ばれる土偶が出土している
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さらに東のほう、山梨県北杜市大泉町にある「金生遺跡」には祭祀が行われていたと思われる列石が出土されている ちなみに以前このすぐ近くに僕は住んでいたが、住宅の周りの至るところから縄文時代の住居跡が発掘されていた
金生
この地域にどうしてこれだけの多くの集落が集まっていたかというのには実はちゃんとしたわけがphoto08_02あった まず今から5000年くらい前の日本列島は今より気候がかなり温暖でクリ、クルミなど食材となる植物が多く存在していたこと、八ヶ岳から湧き出す豊富な水があったこと、そして八ヶ岳のすぐ隣にある霧が峰の「和田峠」という場所からは大量の良質な「黒曜石」が掘り出されていたこと この黒曜石は火山の噴出物のうちガラス質のものが固まった天然ガラスで、割って成型すると鋭くよく切れる刃物になる これがナイフや矢尻として当時は実に貴重なものだったため全国からそれを求めて多くの人々が集まってきて自然と集落が増えていったようなのだ

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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