CD制作裏話  11

さて、そもそも仲田修子が何故このアルバムを作ろうと思ったか・・・それにまつわる話を少ししよう9784807498239と思う。彼女の音楽活動歴はもう50年近くになる。そし てその辿ってきた道のりは他のミュージシャンたちとはかなり違う。そこら辺のことは以前このブログの中で紹介した彼女の小説「ダウンタウンブルース」それにかつて出版された彼女について書かれた本間健彦著;ノンフィクション「高円寺修子伝説」という本に出てくるのでここでは省略するが、とにかく貧困生活の中から”生活のために”クラブシンガーという形で音楽活動をスタートさせた彼女は本場のブルースマンたちとかなり近い道のりを歩いてきたことだけは知っていてほしい。

その彼女が歌うことでやっと手に入れた安定した平穏な生活・・・ところがある悲劇が彼女を襲う。それについてはここでは触れないが、そのことがきっかけで仲田修 子はオリジナル曲を書きライブハウスに出演するシンガーソングライターの道を歩きはじめる。

その中でブルースに初めて出会った彼女は「これは私にとって特 別なものだ」と直感的に思ったという。そしてオリジナルのブルースを書き始める。その最初の作品が修子が今でもライブでよく歌う「ドライジンブルース」 だ。彼女のオリジナルブルースはその頃から素晴らしい完成度と美しさを持っていて、それは初めて彼女のライブを見た僕を一発で魅了した。

元々ブルースを歌う のに最適な透明感のあるブルーボイスを持っていて完璧なピッチを持つ天才的なボーカリスト、音楽に対する感性が豊かでその上人一倍の努力家・・・そして悲惨な思春期から現在までの人生経験・・・それらのすべてが彼女を「ブルースを歌う」という道へのベクトルとなっていた。

しかし、当時の彼女のステージでの表現は今とはかなり、というより全く違っていた。現在の仲田修Scan0020子ライブをご覧になってる人には想像つかないと思うが、当時の彼女のライブには今の彼女が見せる暖かさや包容力や優しさといったものはほ とんど見られ無かった。それどころかそのステージはいつも緊張感と殺気に満ちていてライブを見る客席からは「怖い」という囁きが洩れるほど、修子自身もま るで手負いの野性肉食獣のような攻撃性をつねに感じさせるようなところがあった。その当時のことを彼女はこう語っている。「最初のころの私の歌やステージ ングは完全にタナトス志向だったんだ、それがずうっと歌い続けてきた中でそのタナトスが無くなってエロス志向に変わったんだ」

ここで言われる「タナトス」と「エロス」はそれぞれギリシャ神話に出てくる神の名前で「タナトス」が死や破壊、現実否定を象徴し「エロス」は愛や創造、現実肯定を象徴する。

「あの頃の私は死ぬことばかり考えていた・・・」修子はそう付け加えた。その頃は僕も「彼女はきっと30歳くらいで死ぬんだろうなあ」と思ってた。

彼女はもうひとつ付け加えた 「”陰極まりて陽となる”という言葉があるのだけど、私の場合はまさに040そうなんだよね」

そこに僕なりの解釈を加えるとつまりかつてはあまりに巨大だった自分の苦悩を吐き出すために歌い続けていた彼女がある時期に小悟(仏教の中の概念)して、その結果今度は他の人々の苦悩を掬い上げてそれを癒す表現者に変貌した・・・そしてそれこそがまさにブルースマンに与えられた使命なのだと。

そして最後に修子はこう言った「タナトスから脱け出し、陰極まりて陽になったからやっと私はスタンダードブルースが歌えるようになった、そう思うんだよね」

僕も全く同感だ。

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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