お正月だから映画でも    3

「高橋竹山」

さて、今日は映画の紹介ではない 逆に僕が探している映像の話だ 皆さんは「高橋竹山」という津軽img_1三味線の巨人のことはご存知だろうか 1910年青森県の津軽地方に生まれたこの人は幼い時の病気で失明し、生計を立てるために三味線を覚えそれで津軽地方で長い間「門付け」と呼ばれる芸人をやっていた 僕のかみさんは青森出身なので子供のころ竹山の噂を聞いたことがあるそうで「門付け」というのは当時のその地方では「ほいと」と呼ばれほとんど乞食同然の扱いを受けていたそうでその暮らしは過酷なものだったらしい

img_0その様子は1977年公開「 新藤兼人」監督の「竹山ひとり旅」という映画で紹介されている

ちょうどアメリカの黒人ブルースマンのような境遇(黒人ブルースマンにも盲人が多い) その彼がやがて青森県のテレビで紹介されたことをきっかけに広く知られるようになり、70年代に渋谷にあった劇場「ジャンジャン」に出たことが若者たちの 支持を得ることになり、しまいには海外でも多くのファンを持つまでになった
そんな竹山が 喉頭がんにかり1998年 亡くなったのだが、その最期直前の映像を収めたドキュメント番組があったのだ たぶんNHKが制作したのだと思うけど・・・

そこには竹山の壮絶な姿が描かれていた すでにガンが進行していた彼はもう声も出ず体力もすっかり衰えていた にもかかわらず彼は人前で演奏することを辞めようとはしなかった 凄いシーンがある どこかの宴会場か何かで竹山が演奏する もう三味線を自分で支えていることすらできず弾いている最中に段々と三味線がずり落ちてくる・・」それを横で付き添いの多分娘さんが手で支えてやっと弾く のだがその演奏はとてもかつての津軽三味線の巨人の演奏とは言えないひどいもの・・・見かねた彼の弟子たちが「もう辞めてくれ!」と言っても「俺には三味 線を弾くことしかない」と決して辞めなかったそうだ
番組は「この数週間後に彼は亡くなった」というナレーションで終わるのだが、僕はそこに芸で身をたてそれで生きてゆくしかなかった彼の生きざまと死にざまを見せつけられてなんとも複雑な思いがしたのだ
これをぜひもう一度観たいしみんなにもぜひ観てほしい だれかこの番組のことをご存知の方がいらしたらぜひ情報を教えて下さい。
それでは高橋竹山の全盛期の演奏をたっぷりとご覧下さい




高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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