もう一度ブルース   3

さて、ギター弾き語りのブルースマンで1920年代に活躍したといえばやはりこの二人を出さないわけにはいかないね

それぞれ「ミシシッピブルースの父」 「テキサスブルースの父」と呼ばれる

まずは
チャーリー・パットン Charley Patton

「デルタ・ブルースの創始者」と称されるチャーリー・パットンはロバート・ジョンソンやブッカ・ホワイトらの憧れの的でした。
1887年頃、ミシシッピー州エドワーズ近郊に生まれました。1900年頃、両親と彼の12人の兄弟達とサンフラワー郡にあるドゥカリー農園に引っ越し、1924年まで暮らしています。彼は、そこで年長のミュージシャンであるヘンリー・スローンという人にギターを習います。やがてスカウトされて、1929年6月にパラマウントに初レコーディングを行い、そこで翌年まで在籍し40曲ほどを吹き込んでいます。ギターの弾き語りのほかに、ウィリー・ブラウンとのデュエットや、ヘンリー・シムズのフィドルをバックにしたものなども聞け、バラッドやスピリチュアル、ゴスペル、ラグタイムなど曲種は広範囲に渡っています。その後、1934年にアメリカン・レコード・カンパニー( ARC )に29曲ほど吹き込みます。最後のレコーディングが行われた3ヶ月後にミシシッピー州インディアノーラで心臓弁膜症で亡くなりました。
彼のスタイルはデルタ・ブルースの真髄が詰まったもので、弦をはじいて胴にぶつけたり、胴を叩きながら弾いたりする打楽器的な奏法、さらにボトルネック奏法を使ったりしています。それらはウィリー・ブラウンやサン・ハウス、トミー・ジョンソン達に大きな影響を及ぼしています。(以上;ラジカルビスケットより)

この人のすごいのはもちろんその演奏力なのだが、それとともにその後のブルースの歴史に大きく関ることをやってたってことだ

彼によってミシシッピの「デルタブルース」の骨格が出来上がったと言っても言いすぎじゃない

そしてその影響は「サン・ハウス」「ロバート・ジョンソン」「マディー・ウォーターズ」「ハウリン・ウルフ」などを経て「ローリングストーンズ」をはじめとするロックにまで及んでるってことだ

では「チャーリー・パットン」で


そして2人目の
ブラインド・レモンジェファーソン BLIND LEMON JEFFERSON

この人のことはこのあと「ブルースギターを弾こう」というニューコラムを始めるのでそこで細かく紹介するけど、彼が「テキサスブルースの父」と言われながらもチャーリー・パットンとは大きく違うのはそのあとのフォロワーがほとんど居ないということだ

まあ、広い意味で言えばその後のテキサスブルースに影響を与えたのかも知れないが(たとえば若いときにレモンの介添えをやっていたこともある「ライトニン・ホプキンス」のギターには時々レモンぽいフレーズが出てきたりする)、とにかくこの人はものすごいテクニシャンでもあるだけでなくそのフレージングのユニークさからか結局それを引き継ぐものが現れなかった

それにやはり特に「ロバート・ジョンソン」が現れてからのブルースの主流がミシシッピデルタからの影響にほぼ独占されてしまったからかも知れない

でもやっぱり凄いのだ では彼の代表作

That Black Snake Moan’ (1926)

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

http://penguinhouse.net/how

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする