もう一度ブルース   23

チャック・ベリーが一昨日亡くなった

90歳だからまあ「大往生」と言っていいんだろう・・・残念と言いたいけどこの数年はもうかなり老いぼれちゃっててライブの映像を見るともう悲惨なくらいにボケちゃったかつてのロックヒーローの姿に悲しい思いをしていたので(アメリカのショウビジネスの世界って「金に成るなら何だっていい」という体質がスゴすぎる)まあこれで彼も穏やかな世界に行けるのかな・・・と思っている

僕はもうずうっと前から「チャック・ベリーにはノーベル賞を与えるべきだ」と思ってた

ボブ・ディランが「文学賞」を受賞したときも思ったのだが、そもそもディランもビートルズも彼が居なかったら今のような音楽をやれていたかどうか・・・

そう思うとこの偉大なイノベーター、ロックンロールの生みの親であつチャックに敬愛の思いをいくら送っても足りないと思う

そうそう、彼は最初からロックンローラーだったわけではない

初めて、あのマディー・ウォーターズが「面白い若者が居る」と言って彼をCHESSレコードのオーナー「レナード・チェス」のところに連れてきたことがすべての始まりだ

ここらへんのことは映画「キャデラック・レコード」にも出てくる


最初「夜 ずっと遅く」という曲をレコーディグしたがっていたチャック それはよくあるようなスタイルのブルースだった それを聴いたチェスはイマイチ気に入らなかった

「何かほかに曲はないのか?」

そう訊かれたチャックは「じゃあ」と言って自分が知ってるカントリーミュージックをちょっと変えた「Maybellene」を演奏した

それを聴いたチェスは「これだ!」と言ってすぐさまその曲がチャック・ベリーのデビュー曲になった


彼の歌い方もギターもそれまでのブルースシンガー・・・とくにシカゴブルースのブルースマンたちには無かったスタイルだった

フラット気味に音程を取るミシシッピ出身の彼らに比べてむしろシャープ気味に取った歌の音程 ベットリと粘るのではなくサラッとスピード感を重視したギター ブギやシャッフルではなく明らかにはっきりと8ビートに乗ったリズム そして今までのソングライターには全く無かった新しい感覚の曲(とにかくベートーベンをぶっ飛ばしちゃうんだから)

それらのすべてが、当時の若い世代の黒人・・・それを飛び越えて白人の若者たちにもどれだけ刺激とインスピレーションを与えたか・・・

それは電波やレコードに乗ってあちこちに飛散した

シカゴよりさらに北のミネソタ州でも、海を渡ったはるかリバプールでも・・・

世界中で若者たちがギターを手に取り歌い始めた

それは今まで僕らが経験してなかった新しい音楽の始まりだった

それがまさか50年以上過ぎた現在にこれだけ世界中で色々なスタイルで演奏されることになるとは・・・当のチャックも思わなかったかも知れない

時間は過ぎる 人は老いやがて死を迎える

しかしその遺したものは時間を経ても色あせずずっと受け継がれてゆく

このR&Rという素晴らしいDNAを残してくれた彼ら(エルビスもリチャードもレイもオーティスもジョンもジミもジャニスも)に「ありがとう!」と言いたい

チャック・ベリー・・・無冠のキング・・・安らかに

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

http://penguinhouse.net/how

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