仲田修子話 32

母が夫の死後すぐに某大手の新興宗教に入りその3ヵ月後の5月頃、ある日突然その団体のおばさんたちが得体の知れない小説家志望だという無職の男を連れて来て無理やり修子たちの家に住み込ませた どうやらそれは母とその男を再婚させようという計略・・・

これは明らかに父の遺産狙いだと修子はすぐに気が付いた そしてある日ちょうど母もその男も居なかった時そのオバサンたち4人がやって来たので修子は思い切りバケツの水をぶっかけてやった するとその女たちはいきないり土足で上がってきて4人で中学生の修子に殴る蹴るの暴行を加え去っていった

修子は怖ろしい絶望感に心が引き裂かれてしまった 母はもう気がおかしくなってる・・・もうこれはダメだと思った 薬局に行き「ブロバリン」(バルビツール系;飲みすぎれば死に至る)という睡眠薬100錠入りを買い・・・時間をかけてその100錠すべてを飲んだ

三分の二くらい意識を失っているときに発見され病院に運ばれた その最中そして病院に行ってからも朦朧としながらも「お父さんが死んだばかりなのに何で男なんか引き込むんだ!」と修子はわあわあと声を張り上げて絶叫し続けた もう自分では死ぬつもりでいた

そして意識が戻った・・・気付いたら生きていた・・・死ねなかった

そんな騒ぎがあってさすがにその男も出て行った 修子は命をかけて自分の家と家族を守ったのだ ところが母はそんなことがあってもけろっとしていて修子に謝ることすら無かったという

その後その騒ぎも収まり身体も回復して学校に戻ったが、そのとき修子を「かみそり」と賞賛していたあの歴史の教師にこんなことを言われた

「子供が自殺未遂するわけないんだからあれは事故だったんだよな、なあ」と念を押すように彼は話しかけてきた 唖然とした修子は彼には何の責任も無いはずなのになぜ必死にそんなことを言うのか不思議に思った たぶん自分達の責任を追及されることを怖れてたのではないか 結局その事件は家でも学校でも「何も無かった」ということにされてしまった

いくらまだ昭和30年代のこととはいえ「子供が自殺することは有りえない」という教師たちの考えには驚いてしまう

それからの中学校生活はもう修子にとっては何の意味もないものになってしまった

挿入曲「暗い大きな」
作詞作曲:仲田修子 2008年ペンギンハウスライブ より

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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