仲田修子話 55

修子がレスビアンクラブで働いていて仲田一家が相変わらずパン屋の4畳半に住んでいた頃、母がまたもや男を連れ込んだ その男は年齢は50代くらいで屋台のおでん屋をやっているといるということで、母はたまに頼まれて大根を茹でたりとかして手伝ったりしていた その男は家に泊まったりするようなことはしなかったが、しょっちゅうやって来ていた 修子に対しては明らかに位負けしていていつもすごく卑屈で媚びるような態度をとっていて修子が煙草をくわえると横からさっと火を付けたりしていた  母とその男が出会った経緯はわからないという

そのおでん屋の男は修子や弟に対していつも口癖のように「今に百万円持ってくるから」と言っていた 弟はその言葉を信じて期待していたようだが修子はまったく相手にしていなかった その言葉には根拠がまったく無かったし、どうせ競艇とか競輪とかで大穴当てるというようなことを意味していたんだろうと思ったからだ

ところが実際はその話とは裏腹に仲田家ではとんでもないことが起きていた その男が来るようになってから家にあったテレビとかポットとか元々数少ない電化製品が次々と消えていったのだ 修子はすぐにあの男がそれをやったんだろう・・・多分それを質草にして競艇とかに通っていたんだろうと理解できた そんなことが起きているのにも関わらずそれに対して母は騒ぐどころか口にすることもなかった

ただでさえ少なかった仲田家の電化製品はどんどん減っていった

そのとき修子は「あーっ!」と思い当たった これよりもっと大掛かりなことがあった・・・ということに気づいた それはあの元義父、元検事だというあの男がこれよりもっと大掛かりでもっと合法的なやりかたで同じことをやっていたんじゃないか・・・ただあまりにもスケールが違っていた 家一軒建てられるほどあった仲田家の財産はあの男にそうやってすべて巻き上げられていたんだ・・・ということに修子はそのときになってはじめて気が付いた

そのおでん屋のオヤジに対しては修子は別に何も言わなかった 媚びるような態度に対しても鬱陶しかったので修子はほとんど相手にしていなかった 家電製品が無くなっていることに関してもあまりにスケールが小さいと思い問い詰めるのも面倒くさかったので何も言わなかった そのうち仲田家からはほとんど物が無くなっていた そしてホームレス一歩手前のようなその男はそれに比例して次第に顔を見せなくなり、やがてぷっつりと来なくなった

結局修子の母の男に対する感覚はその後も無くなることは無くすっからかんになっても自分のしていたそういう行為を恥じることも反省することも無かった 老後・・・もう90歳を過ぎて老人ホームに入所したあとも、その時はもうすっかりボケていたのだが「ここの職員の男の人が私と一緒に逃げようなんて言うんだよ」などと言ったりしていたので96歳で亡くなるまで・・・ずうっとそういう性癖は無くなることは無かったようだ

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