仲田修子話 70

「アーサーベル」での修子の人気はもう不動のものになっていた

たとえば・・・某大手電機メーカーの重役をやってる人がお客で来ていて修子の歌う「ろくでなし」を聴いて泣いたというエピソードがあり・・・この人は修子が後に他の店に移ったあともその店に聴きに来てくれていたという

またある日アメリカ人の夫婦がお客で来ていて「ぜひこの曲を歌って欲しい」と「Green Grass of Home」という歌の歌詞をその場で口頭で歌ってみせて、それを修子がすぐに覚えて歌ってみせると大喜びしてその後もちょくちょく店に来てくれるようになった


そして高給取りになった修子はやっとアパート一間の暮らしから脱出し、富士見台駅の近くに2DK風呂付きの一軒家を借りることができた はじめて家に電話も引くことができた

思えば今までの人生でさまざまな苦労や辛酸を舐めてきて初めてちゃんと人間扱いをされるようになった・・・そしてはじめて本当に努力する価値のあるものに出会った・・・そう修子は回想する

そしてその頃修子はピアノも購入した 芸大の学生を教師にピアノのレッスンも始め「バイエル」も最初から最後まで全てマスターし弾けるようになった のちに”ピアノは自分には向いてない”と思いやめたが、そのおかげでその後ある程度譜面が読めるようになったり”拍”の意識や小節の把握などその後の修子のバンドマンとしての活動に大いに役立つこととなった

ところでアニメーションの仕事からバニーガールを経て弾き語りの仕事に辿りついた修子だが、その間に彼女の身にはこんなことが起きていた

当時修子は20代前半・・・実はそれまでちゃんと男性との交際をしたことが無かった それなのになぜかその頃、別々の3人の男性からプロポーズを申し込まれていた たとえばなぜか修子の弟に「お姉さんと結婚させてください」と土下座して頼み込む男性 その男は地下鉄の運転手で「弟さんの学費は全部自分が出しますから」・・・という条件まで付けてきた

ある自営業の男性は「自分は今の妻とは別れる 家を新築したばかりなのでゼヒ!」とか・・・当の修子はそれらの男性はどれも自分と付き合っても居なかったのに、いきなりそういうことを言うので、喜ぶどころかむしろ怒っていた

とにかく男性と付き合うというのがどういうことなのか・・・そのフィーリングがイマイチ解らなかった修子だったがそういう連中を相手にするくらいなら自分でボーイフレンドを見つけようと思い立った どうせ付き合うならなるべく可愛くて外見が女の子みたいな男の子がいいな・・・そう思っていた

そしてある日・・・修子が江古田にあるパチンコ屋に行ったときのことだ

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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