当時、ジャズのスタンダードナンバーを集めた「1001(せんいち)」と呼ばれた譜面集があったが、これは当時ジャズなどで仕事をするミュージシャンにとっては無くてはならない必須書だった。 修子ももちろんそれを使っていた。
「1001」については筆者も名前くらいは知っていたが、どういうものかは詳しくは知らなかったので調べてみた。 すると驚くことがわかった。
”1001”といっても別に1001曲載っていたわけではない 。それは終戦後から高度成長期くらいまでの間にかなり出回っていたのだが、実はこれは正規の出版物ではなくなんと「海賊版」だったのだ。
名も知られていないどこかの誰か・・・音楽知識豊富な人物がアメリカの進駐軍の楽団が使っていたものとか、レコードなどから”耳コピ”したものとかを基に作ったもののようだ。 この譜面集はその当時としてはかなり高い値段で売られていた。 ミュージシャンたちはバンドマンからバンドマンへ手渡しとか、楽器屋の裏とか怪しげなところで入手していた。 ちなみに今では”10001”という名前の楽譜集がきちんとした出版社から売られているが、それは別物。 今ではジャズだけでなく「ポピュラー」や「ハワイアン」の「1001」も出ている。
「1001」のほかにもうひとつ「赤本」というのもあった。
ただし、これは一般的に知られてる「教学社」から出版されてるの大学の入試過去問題集・・・のことではない。 またジャズマンたちが使っていた「青本」「赤本」・・・これはジャズの曲を集めたものでこれとも違う。
こちらのほうは当時の流行りの歌謡曲や演歌ばかりを集めた譜面集で、これはちゃんと正規のルートで出版されていたものだ。 正式には「歌謡曲のすべて」というタイトルで表紙が赤かったので、この名前で呼ばれていたんだと思う。 ページをめくると曲のタイトル、歌詞それに譜面コードが書いてあるので、それを見ればどんな曲でもすぐに弾けるというこれまた弾き語りの仕事をしているものにとっては有り難いツールだった。 この書はかなり短いサイクルで改訂され販売されていたそうだ。 だから新しい曲が出てくるとまたそれを買う・・・当時は弾き語りの仕事につく者が多い時代だったので、出版するほうもけっこうニーズを受けてたのだろう。
ちなみに、修子バンドのドラム担当の瀬山研二も10代のときにキャバレーのバンドでドラムを叩いていたが彼もこの「赤本」を使っていたそうだ。
そういった譜面や自分で作ったスコアー・・・当時はそういうもののぎっしり詰まったファイルが5冊ほどになっていたが、その中から店でその日何を演奏するか・・・選曲はその店の雰囲気や客層に合わせてやっていて、修子の仕事にはだからDJみたいな要素もあった。
高円寺ライブハウス ペンギンハウス