仲田修子話 98

こんなこともあった。

ある日渋谷辺りにあったクラブにトラで行ったときのことだ。

その日の対バンがなんと「松尾和子」とそのバンドだったのだ。 今の人は知らないと思うけど、この人は昭和のムード歌謡界の大物で元祖セクシー系歌手といった感じ「再会」や「誰よりも君を愛す」などのヒット曲を持っていた。 ちなみに彼女は刑務所への慰問もよく行っていたが、この「再会」は受刑者たちに深刻に受けたという。

タレント活動など盛んに行っていた矢先、彼女の息子が覚せい剤で逮捕され実刑判決を受け服役してからは、マスコミなどからいっせいに「子育ての失敗」などとバッシングを受け(今でもこういうのよくあるよね)その後は転落人生 事業の失敗で多額の借金も抱え・・・自殺未遂をしたり・・・最後は階段から落ちたことが原因で1992年に57歳で死亡している。

ちなみに彼女の墓は高円寺にあるそうだ。

その日は修子が1,2ステージを歌い終わるとそこに松尾和子がバンドメンバーになんと司会者まで連れてやってきた。 そして、それを目当てにしてた100人近くのファンたちまでドドーっとやってきてかなり広かった店内はあっという間に満杯。

まるでカエルのような真緑色の衣装を着た司会者が、彼女を紹介しそこから松尾和子ショウが始まった。

そして、1時間くらいのショウが終わると彼女もバンドマンもあっという間に帰っていった。 ここで普通なら終わるところなのだが、なぜかそのあとに修子がもう1ステージ歌うことになっていた。 自分としては「もういいだろう」と思った修子だが、そういう依頼なら仕方ないと思い、再びギターを持ってステージに上がった。 案の定松尾目当てのお客たちはそれこそ逃げるようにぞろぞろと出てゆき、店の中はあっという間に空っぽになった。 かえってすっきりとした気持ちになった修子は、それでそこからは自分の好きな歌ばかりを歌った。

わざと歌謡曲などとはほど遠い「500マイル」なんて曲を中心に歌っていた。


すると、意外なことに誰も居ないと思っていた客席に2人だけ残っていた客が居て、修子の演奏をすごく楽しんでくれていた。

彼女が歌い終わるとその2人が修子に話しかけてきた。

「僕たちはあんなのより君の歌のほうが全然好きだ」と言ってくれ、そして

「良かったらこれから僕たちと飲みに行かない?」と誘ってきた。

二人ともすごくいい人に見えたので修子はその誘いを受けることにした。

そこから下北沢にあった「ガソリンアレイ」というロックバーに3人で行った。

ちなみにミュージシャンたちによく知られてるライブハウス上馬にある同名店はこの店が後に出した支店だ。

そこで修子は2人と楽しく会話をして時間を過ごした。

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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