仲田修子話 105

修子が東北沢のアパートへ移ったとき、それまで別々に暮らしていた母親と弟を呼んで同居し始めたのにはちょっとした訳があった。 当時の修子はディスコやナイトなどのハコの仕事でかなりの収入を得ていた。 そして母や弟に対しても彼らが生活していけるだけの充分な金を渡していた。

にも関わらず2人の生活は不安定だった。 この2人を放っておいたらこの後どういうことになるか・・・そういう不安が修子にそういう決断をさせた。

そうなのだ。身近に困っている人間が居ると放っておけない・・・修子のそういうところは当時も今でも全く変わっていない。

同居したものの、当の2人はそれまでの生活態度を変えずに続けていた。 母は相変わらず怪しげな新興宗教にハマっていて、そこにやたらと金をつぎ込んでいた。 修子が必死になって辛い思いをして稼いだ金をだ。

一方・・・弟幹夫はどうだったのだろう・・・こちらにも大きな問題があった。

彼は修子にすべてを依存していた 。 修子は彼をちゃんと大学にまで行かせるために必死な努力を重ねてきたのに、それに対して感謝するどころか修子に甘えるばかりだった 。 たとえば彼女の通っているハコの店に勝手に押し掛け、修子にも無断で「僕は彼女の弟なんです彼女のギャラを前借りさせて下さい」などということをやったりしていた。

元々大人しくて内気な彼だったが同居し始めた頃、彼はかなり重度の鬱病にかかっていたのだ それに伴ってさまざまな問題を起こしていた。

たとえばある時こんなことがあった。

自殺をしようと思い立った彼は・・・なんと交番へ侵入し警察官の持っている拳銃を奪おうとしたのだ。 それで逮捕され(その事件は新聞にまで報道された)措置入院までさせられたのだ。

弟のあまりの酷い行動に修子はもう耐えられなくなってしまった。

そしてある日・・・彼に向かって怒りを抑えきれずこう言ってしまった。

「お前なんか死んでしまえ!・・・死んでも私は泣かないから。」

翌日、修子が仕事を終えて家に帰ると母の妹の息子つまり従兄弟が家に来ていた 何だろうと思った彼女に母親がこう言った・・・

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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