仲田修子話 104

ディスコの仕事は相変わらず続いていた 。その店での修子の人気はもう不動のものになっていた 。たまに自分の休みに他のトラを入れると、どんな人でも店には不評で「あんな人を寄こさないでくれ」とクレームが来てしまっていた。

ところで、その頃修子はまた引っ越しをした。 それまで住んでいた練馬の中村橋から今度は世田谷の小田急線の東北沢駅すぐのアパートに移った。 それは何故かと言うと地理的メリットがあったからだ 。そこからだと六本木や赤坂などにも通うのが楽だった。 六本木へはバス1本で通えた。 そして、その引っ越しをきっかけに修子の母親と弟もそこに同居することになった。

ここで修子の弟「幹夫」についてちょっと説明しておこうと思う。

彼は修子とは約2歳くらい離れていた。 彼の詳しい生年月日は修子は覚えていないという。

「え、実の弟なのに?」と思われるかも知れないが実はこれには深いわけがあるのだ。

幹夫と修子は子供と時からとにかく仲が良かった。 というより修子はすでに自分が幼児の頃から、例のどうしようもない母親のせいで彼の面倒を見たりしていたので、姉弟というよりは親子みたいな関係になっていた。 だから修子が自分は高校を1年で中退してその後、必死で働いて彼の生計をほぼ支え大学まで出してやったことにも、特別「姉貴、すまない」というような気持ちは持ってなかった。

修子と違って子供の頃から気が弱く内気だったという彼。 ただほかの青年とはちょっと違った趣味を持っていた。

そのひとつが「登山」・・・ただ登山と言っても真冬の山にそれもたった独りで登るのが好きで(これはかなり危険な行為で一般には禁止されている)よく出かけていたと言う。

あと彼は「鉄ちゃん」だった。 「鉄ちゃん」とはかなりディープな鉄道マニアのことを呼ぶ名称で、一言で「鉄ちゃん」と括ることができない。

というのは、その中にさらに分かれたジャンルがあって、「乗り鉄」これはとにかくやたら鉄道に乗ってあちこちに行くのが好きなタイプ 、それから列車の写真や動画などを撮る「撮り鉄」、廃線になる鉄道に乗りに行く「やめ鉄」・・・などなどまだ色々有るのだが・・・まあこれくらいにしておくが、幹夫のジャンルは少し変わってて通称「読み鉄」と言われていた。

これは実際に鉄道には乗らずに、ひたすら時刻表を読んで、そこからたとえばA駅からD駅まで最短でいけるルート」というのを探し

「○時○分にA駅を出る列車に乗り○時○分にB駅に着き、そこから○時○分に出るバスに乗り換えC駅に○時○分に着き、そこから○時○分に出る列車に乗り換えると○時○分にD駅に着く」

というようなタイムテーブルを組んで、それで頭の中で旅を空想するのだ。

そんな彼の趣味が実用に役立ったことがある。 あるとき修子が友人と北海道を気ままに旅行したいと彼に告げると、

「じゃあどこそこで何時にこういう列車に乗って、何々という駅で乗り換えて・・・」という予定進行表を彼が作ってくれた。 修子たちがそれに従って行動すると、本当に彼が言ったとおりに動けてものすごく効率のよい旅ができて、あらためて彼の才能に修子は舌を巻いた。

そんな彼だったのだが・・・

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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