仲田修子話 114

曲には「栄町・栄通り・栄楽荘」というタイトルが付いていた この曲は修子が弟の自殺の後真っ先に作った曲で、曲の歌詞もそのことにダイレクトに繋がる重い内容だった

その歌を歌い始めた瞬間、突然修子の脳裏にあの事件のことがフラッシュバックで鮮烈に蘇ってきた

そして修子は突然泣き始めた・・・号泣した
もう歌なんか歌える状況じゃなかった にも関わらず手はギターを、曲のコード進行を弾き続けていた その曲は結局最後まで修子の号泣の嗚咽だけで始まり終わった

終わってからそのことを修子はものすごく悔やんだ なんていうことをしてしまったのだろう 大変なことをしてしまったと・・・演奏が終わった後店の人に平謝りでわびた

そのことがあってからそれ以前もそうだったのだが、その後一切演奏前に飲酒することを固く自分に対して禁じた修子だった

ところでこの話にはまだ続きがある そのことがあってもう随分後になってのことだが、修子はある知り合いのフォークシンガーからその時のことが、その後ずうっとその店では話題になっていて伝説にまでなっている・・・ということを聞いて驚いてしまった

そうそう、言い忘れていた その店の名前は「ぐゎらん堂」という

その後も修子は「ぐゎらん堂」には何度も出続けることになった

ところで、その当時のライブの客層はどんな感じだったのか

修子はどこへ行っても基本的にはいつも怒っているような態度で演奏をしていた それはけっこうスゴイ迫力だったので客席に居るほとんどの客は恐々とそれを観るといった感じだった これはその当時よく見られたシーンだが、必ず大きなラジカセ(注)を持って来て客席に座るとそれを自分の前に置き修子の演奏を録音する・・・そういうお客が1人や2人ではなくかなり多数居た そういう行動をするのは全部男性で判で押したように全員すごく気が弱く大人しそうな、今でいえばオタクみたいな連中だった

そういうお客たちに対して修子は普段は一切口もきかずに居たのだが、ある日ちょっと気まぐれにそういう中の1人の男性に声をかけてみた「あの、どこから来たんですか?」と

すると、そう話しかけられた瞬間その相手は恐怖に引きつったような表情を浮かべて何も答えなかった その男だけではない ライブが終わるとそこに来ていた全員がラジカセを抱えて、まるで逃げるように帰っていったのが修子の記憶に焼きついている

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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