ある日、有海がある店でライブに出ると言うので修子はそれを観に行った そのときの対バンにもう1組の出演者「S」が出ていた それはギタ-ボーカルが2人とベースが1人というユニットで、ギターボーカルの2人は顔がそっくり、というのも無理はない・・・彼らは双子だったのだ そのライブが終わって帰りがけ、ふと近くにある喫茶店の前を通るとさっきの3人がその店内に居た そこで修子はそこに入って行き彼らと同席し一緒に会話をした
「さっきの演奏良かったよ」とか言って
それから修子と彼ら「S」とは友達付き合いするようになった
この「S」は当時CAROLをちょっとコミカルにしてフォークでやったらこんな感じ・・・というようなスタイルで演奏していた そしてどちらかというとあまり殺気のないフロントの2人に対していかにも「本物」の空気を漂わせていたのがベースの「増田耕作」だった もう見るからに悪そうでツッパッていて「ツッパリの標本」にしたいくらいの風情があった
それは当然で彼は墨田区の工業高校出身で正統派の本当の「ワル」だったし、何しろ実家が浅草の吉原の「大門(注)」のまん前にそれもいつからそこに住んでいるかわからない・・・くらい代々続く生粋の江戸っ子だった
それからしばらくしてその双子のDUOがメジャーからレコードデビューすることになった しかしそれには条件が付いていてデビューできるのはギターボーカルの2人だけ ベースの増田はその時点でそのユニットから外されてしまった
それを見て可哀相に思った修子は彼に声をかけた 「良かったら私のところでベース弾いてくれない?」 そう誘うと増田はそれを受け修子のバンドに加入することになり、ついでに彼も北沢のアパートで暮らすことになった これで2人目の住人ができたのだ
その3人で一緒に演奏することになって修子はそのバンド名を考えた かなり苦労して考えた結果バンドの名前は「ペーパーナイフ」に決まった
修子にこの名前の由来を訊いてみた すると
「ペーパーナイフは普通だったら殺傷能力も無いけど本気で命がけでやればそれでも武器になるんじゃないか」そんな意味だという
そうそう 当時は「ペーパーナイフのテーマ」という曲があった
夢の中ではいつだって
真っ暗闇の夜ン中
追っかけられてる闇の中
トチ狂ってるよ いつだって
ペイパーナイフを振りかざし
さあ、さあ、さあ、さあ、
どうするどうする まだ夜中
注:「大門」とは 「吉原」は江戸時代から第二次世界大戦直後まで続いた江戸東京の最大の遊郭地帯(なお修子の育った品川を「南」、吉原を「北」と呼ぶ慣習があった) 戦後のGHQの政策で廃止にされた後は「赤線地帯」として残り、後に「売春防止法」が施行されてから現在では「ソープランド」などの風俗店がならぶ 「大門」は「おおもん」と呼ぶ 吉原のたったひとつの出入り口 それは遊女たちの逃亡を防ぐためと、江戸時代はここで「おたずね者」などを見つける関所のような役割も果たしていた 今は「吉原大門」という交差点名が残っている
高円寺ライブハウス ペンギンハウス