仲田修子話 128

最初の頃は数日に1回くらいのペースで北沢のアパートを訪れていた矢島 ときには話が盛り上がってすっかり遅くなって、もう終電も終わってしまうこともあった
すると「じゃあ泊まっていきなよ」 そう修子に勧められてお宅に泊めてもらうことになる

実はこれは彼だけのことではなく、当時修子のアパートには遊びに来て泊まっていく友人が他にも何人も居た 中には修子の知らない「友達の友達」なんて人物が、修子が家に帰ると泊り込んでいたなんてこともよくあった 「ゲストハウス」ではないがそこは一種の解放区になっていたのだ 前にも書いたがとにかくそのアパートは妙に居心地が良かった 今思えばそれは修子が幼少期を過ごした品川の街が持ってた空気に近かったのかも知れない

矢島はその後もちょくちょくそこに泊り込むことになっていった それも1泊ではなく2泊、3泊と・・・

ある日ついに修子は彼にこう言った

「そんなにしょっちゅう泊まるんだったらいっそのことここに住んじゃったら?」

「あ、そうします!」

その数日後、彼は本当にやってきた わずかばかりの荷物とギターを持って

これで北沢のアパートにはついに修子と進以外に3人のメンバーが住み着くことになったのだ

その頃修子はライブのない日はハコとトラの仕事に、ほぼ毎日行っていた

その収入だけでは足りなかったので有海と増田もやがて少しずつハコの仕事を入れるようになった 場末のハコに2人は通っていた

その一方矢島はアパートに居ついてしばらくは、何もやらないでゴロゴロしていた 修子たちが仕事を終えて戻ってくると彼はボーっとして部屋でギターを弾いていた

堪り兼ねた修子は「あなたもここに住むんだったら何かやってくれない?」
と言い、そこで彼はその家の料理や掃除や買い物など家事全般を受け持つことになった

昨日の記事にも書いたがその頃の修子はかなりの躁状態になっていた とにかく彼女は元気だった

仕事が終わって家に戻るとそのあと皆で会話をするのが常になっていた 喋るのはもっぱら修子で、煙草を吸いながら(当時彼女はものすごいヘビースモーカーだった)コーヒーを飲みながらそれこそ何時間でも・・・食事をすることも忘れ話し込んだ

音楽のこと、社会のこと、この世界を取り巻いている様々なこと、哲学的、形而上的的なこと・・・話題はいくら喋っても尽きなかった 若い3人はなんとなくぽかんとその話を聞いていた

不思議なことに・・・その家ではアルコールを飲むということが一切無かった 誰も一滴も飲まなかった それは別に禁止されてたわけではない なんとなくそういうことが当たり前になっていたので誰も呑みたいとは思わなかった 矢島は実はこの家に来る直前まではかなりの飲酒をしていたのだが、不思議なことにぴたりと止めてしまった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

出演するには?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする