仲田修子話 140

試しに柱の塗装を少し擦って剥がしてみると下はタイル それも真っ黒なタイルが貼られていた

「これだよ、これのほうが絶対にいい!」

そういうわけで修子たちのそこでの最初の作業は、その柱に塗ってあるペンキを剥がすということになった 修子が先頭に立って皆で作業をした ペンキ剝がしの溶剤を塗装面に塗り、金属製のヘラでこすり取る 長年ずうっとそうだったせいか、塗料はなかなか剥がれ落ちない 4人で協力しながら朝方まで必死の作業が数日間続いた 店内は永年誰も入ってなかったので、底冷えするような寒さだった

朝・・・限界まで作業をして全員へろへろに疲れてアパートに戻り、カップ麺をすすってそのままベッドに倒れこむという日々だった

そうしてようやく内装工事ができる状態になった 店の設計は一応「建築学科」に通ってた矢島がやることになった ただ、彼が「店の内装工事も僕1人でやる」というのを聞いて修子は「おやおや」・・・と思った

本当に出来るのか? どう考えても怪しかったので、彼には内緒で密かに内装工事を頼める業者を探していた

そして、案の定・・・矢島の「僕がやる」計画は早々と暗礁に乗り上げてしまった 23歳の若造にはとても出来ることではないと知っていた修子は少しも慌てず、さっさとその工務店へ連絡した

やってきたのはもう初老の大工さんが1人 いかにも下町の職人といった感じの彼を修子たちは「棟梁」と呼んだ 煙草をぷかーっと一服すると「さて」・・・と棟梁は仕事に取り掛かった 小柄でもう結構いい歳なのに彼の動きは無駄が無く早かった

「私たちあまりお金が無いのでできるだけ安い予算でお願いします」という修子のリクエストにも、にっこり笑って「はいはい」と受け入れてくれた

みるみる店の形が出来上がってゆく カウンターだけはちょっと張り込んで「ベイマツ」の1枚板にした 逆にイスはなるべく予算をかけずに・・・そう思ってた修子はふと吉祥寺の「マンダラ」を思い出した そこのイスはただ丸太を座る高さに切っただけ あれなら安いし丈夫でいい そこで深川の木場の業者に直接頼んで丸太を指定の高さで切って送ってもらった

届いた丸太はついさっきまで運河に浮かんでいたかのように、まだ濡れて海の潮の匂いがした

修子のインテリアのセンスはあちこちで発揮された 天井から下げるペンダントライトのランプシェイド・・・これにはホームセンターで見つけた竹製の植木鉢のカバーを使った 誰も「それ」だとは気がつかなかった 店の看板は四角く組み立てた木の枠にアクリル板をはめ込み それに店名を毛筆で書いた和紙を内側から貼り付けた

そうそう・・・店名はこう決まった 「猫屋敷」

1976年5月・・・ついにその店がオープンした

*添付した写真は営業当時の猫屋敷

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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