仲田修子話 142

そうこうしているうちに世間はもうそろそろ夏の気配を漂わせ始めていた

修子はずうっと考えていた 毎日かなり真剣に考え込んでいた

この猫屋敷というスポットを作ったまでは良かった しかし、相変わらず客足は伸びない・・・このままではこの「砦」の中に篭城したまま全員が「餓死」する恐れさえある・・・このままではマズい

そうしてついに決断をした

修子たちは再び「ハコ」に出て稼ぐことにしたのだ しかし、今までのようにそれぞれがソロという形ではなく、修子、有海、増田、瀬山それに以前「K」と一緒にユニットを組んでいた「H」をギターで加え5人編成のバンド「ファニーキャッツ」という名前で仕事を取ったのだ このほうが効率よくより稼げるということを修子は知っていた このバンドで修子はボーカルだけでなくキーボードも担当した

そして猫屋敷のほうには矢島が残り、そこにそれまでコンピューター会社に勤めていた進を退職させて「マスター」として店に入ってもらうことにした ここにそのあと長年に渡る「亜郎&ジミー」のコンビが誕生したのだ 進はその後「ネコマス」と呼ばれ高円寺ではなかなかの有名人になっていった

修子たち「ファニーキャッツ」が最初に手に入れた仕事は、千葉県松戸市にあったビアガーデンでの演奏だった

毎日小型車の「ファミリア」の車内にぎゅうぎゅう詰めで5人が乗り(その車があまりに旧くてボロかったので警察の検問などを受けると「車検証を見せろ」とよく言われた)、北沢から片道1時間以上をかけて松戸に向かった

そこはデパートの屋上にあるビアガーデンで、ウェイターのアルバイトをしていたのは大抵は地元の高校生たちだった 不思議なことに彼らは揃って夏だというのに顔にマスクをかけていた それも分厚いのを そんなに皆体調が悪いのかと思った修子だが、やがてそれが布に染みこませた「アンパン」を吸うためだったことを知る

そこに勤めてたのはほぼ全員が地元高校の「ヤンキー」たちだった

その頃は修子バンドのメンバーは増田も有海もストレートのリーゼントヘアーにしてたのだけど、彼らからは「俺たちより格が上の人たちがバンドでやってきた」と思われたようで、彼らからは一切絡まれるようなことは無かった

ある日、その中の1人が営業中修子たちが演奏している目の前で、やってきた警官に連行されていくのを目撃したこともあった

お知らせ

21日(土)『修子&Midnight Special ライブ』
出演;仲田修子(vo),ジミー矢島(ag),瀬山研二(ds),伊藤悦士(g)、安威俊輔(b)
オープニングアクト;大濱吾朗(g/vo)        《charge\2000》

半年ぶりに仲田修子バンドがライブしますよ 今回からバンド名も元の
「修子&Midnight Special」になり、またメンバーも変更しました
ギタリストの有海治雄が体調不良のため本人の希望でメンバーから抜け、それに代わって新鋭の若手ギタリスト伊藤悦士が正式メンバーとして加わりました 平均年齢が若くなり、ますますパワフルでタイトになった修子バンド

見逃したら損しますよ!

オープニングアクトはこれまた若い天才

ブルースマン 大濱吾朗がつとめます

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

出演するには?

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