仲田修子話 145

せっかくの皆の汗と涙の結晶をドブに捨てることだけは避けなければならない

かつて修子自身が工場労働者から医療→レズビアンクラブ→アニメーター→バニーガール→弾き語り歌手と転々と職を変えたのも「率良く稼げる仕事」を求めてだった

そしてある日、修子にひとつのヒントが浮かんできた それは数年前に見た光景・・・

渋谷に「ライオン」というクラシックの名曲喫茶がある 昭和元年開業というからものすごい老舗だ ここの地下にその当時なぜか「スタジオ」があった

70年代の中頃・・・当時はまだ今のような個人向けの練習スタジオはほとんど無かった 新宿の「御苑スタジオ」とか六本木の「麻布十番スタジオ」とか・・・いずれもプロのミュージシャン向け・・というか経済的に余裕のあるミュージシャンでないと使えない価格だった

たしか「ペーパーナイフ」でのコンサートの前だったかと思う 安いスタジオは無いか(当時はまだ瀬山と出会う前)ということで探してみるとその「ライオン」の地下にあるというスタジオに行き当たった そのときは筆者も付き合ってたので現場を見てるのだが、当日案内されてその店の地下室に降りて行ってびっくりした 湿気が・・・それも尋常ではない湿気が立ち込めてかび臭い部屋 こんなもので驚いていてはいけない なんと・・・床が・・・無いのだ!

本当に無かったのだ 床板が全部朽ちて落ちてしまっていて、根太だけが残っていてその根太が張りめぐらされた上に、まるで渡し板のように所々コンパネ板が置かれていた

利用者はその上を通らなければならなかった 当然そういう場所に置かれていたアンプやマイクがまともな状態じゃないのは言うまでもない まるで廃墟の中で演奏しているみたいな・・・考えてみれば恐ろしくサイケデリックな光景だった

そこまではまあガマンできれば出来ないことも無かった・・・何しろそれだけに安いので・・・しかし、どうしてもガマンできないことがあった

地下室のむきだしになったコンクリートの基礎のあちこちに水溜りがあって、そこで湧いたらしいボウフラが蚊になって・・・演奏中に利用者を刺すのだ

念のために言っておくがそこは安いとはいえ、決して”無料”ではないのだ

「そうだ」

修子は決断した

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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