ギターギター 69

皆さん、ご無沙汰しました 前回からおよそ半月・・・これまでペンギンハウスに新しく入ったデジタル卓の取り扱いに慣れる作業をずうっとやってまして、このコーナーもそのためお休みしてましたが、なんとかそちらが落ち着いたのでまた再開させてもらいます

さて、前回68では「ビッグ・ビル・ブルーンジー」のことを紹介しましたが、その続きです

彼は1926年に初レコーディング、そして1958年に亡くなるちょっと前まで音楽活動を続けていました この時代のブルースマンの多くは戦前のカントリーブルースが廃れると現役から離れ、その後「再発見」されてまた活動を再開するという形が多かったのですが、ビルはそうではなく波はあったもののずうっと音楽界から離れることはありませんでした

その理由の一つとして、彼はその時代時代の音楽(ブルースだけじゃなく)の流れや流行りを掴む能力があって、その時代にマッチしたスタイルをどんどん取り入れてきました

初期の頃はまったくのカントリースタイルでした 基本的にはギター1本か2本・・・それは彼が故郷のミシシッピで培ってきたスタイルでした

彼のギタースタイルはミシシッピのスタイルに当時人気のあった「ブラインド・レモン・ジェファーソン」や「ブラインド・ブレイク」のスタイルを取り入れて作られました とくにブレイクの影響がいちばん大きかったようですが、ただブレイクのリズムが基本的には4分音符と八分音符でできていたのに対して「符点付き4分音符」を強調し構成されています つまり「ブギウギ」などに見られる黒人音楽の特徴である「ダッタ・ダッタ・・・」という跳ねるようなリズムです また「シンコペーション」も多用しましたこういう音を積極的に用いることで彼は当時かなり都市化が進んでいたシカゴの黒人たちから大きな支持を受けることになりました


また彼はそれまでの基本はギター1本でやっていたブルースに他の楽器をどんどん加えて次第に”バンド化”させてゆく流れを作りました まずはピアノとのDUO それは先人の「リロイ・カー&スクラッパー・ブラックウェル」や「ジョージア・トム・ドゥーシー&タンパ・レッド」などのスタイルがヒントになってました(実際ビルは若いまだ駆け出しの頃ジョージア・トムのバックでもギターを弾いています)

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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