僕の八ヶ岳話 18

当時僕が勤務していた「支社」には全部でおろそ200人近くの「隊員」が所属していた その一人ひとりと普段は電話だけでやりとりしてるのだが、声だけなので相手がどんな人物なのかはなかなか想像が出来なかった そこで僕はこうしたのだ 指令室には現時点で所属している隊員全員の名簿があった それは内容的には「履歴書」とほぼ同じで顔写真と年齢、現住所、出身地、元のあるいは現在の別の職業、そしていつ入社したかなど・・・そんな情報が書かれてあった

その名簿を僕は毎日、とりあえず仕事が暇な時間帯を使っては何度も何度もくり返し読んでいた とくに写真は何度も眺めてその隊員の名前と一緒に覚えるようにした すると、電話で話していても「ああ、この人はこういう顔でこういう経歴を持ってたっけ」・・・と想像しながら話せるので、話がし易くなった そして、週に一度の給料日にやってきた隊員たちの中から顔を覚えた人を見つけると、なるべく声をかけるようにした
「ああ、○○さん!この間はあの現場ありがとうございました。あそこ、監督がキツいから大変だったでしょ!?」

すると相手は「おや?」という顔をしながらそれでもちょっと嬉しそうに
「え、いやいや(笑)どうってことないよ! でも今度はもうちょっといい現場頼むよ!」

・・・と返してくる そういうことを続けていたお陰で、指令室で隊員とのゴタゴタが起きると「ちょっと矢島さんに代わってよ」というオーダーがけっこう来ることになったのだ

さて、ちょっと警備会社の話ばかりしちゃったので、ここらでそろそろ八ヶ岳関連の話に戻ろう
そうそう・・・まずむこうへ行くための一番の課題は車の免許だった

東京で仕事をしながらちょくちょく教習所に通う・・・ということも出来たのだが、そういうまだるっこしいことが苦手な僕は「合宿免許」というのを受けることにした これはどこか一箇所の教習所に合宿して大体2週間毎日みっちり強襲を受けるということだ

そして、どうせ免許を取るなら言った先の地理も同時に覚えよう・・・ということで八ヶ岳にある教習所の合宿に参加することにした 会社には2週間の休みをもらい(こういうことが気楽に出来る職場だった)もう晩秋の寒さが増してくる八ヶ岳に向かった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス出演するには?

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