僕の八ヶ岳話 19

この「合宿免許」・・・噂には聞いていたが、かなりハードなものだった まず教習所の教官たち・・・とにかくやたらと威張るのだ そのうえ、当地の方言いわゆる「甲州弁」なものだからそれにさらに高圧的なニュアンスが加わるのだ
「へ、おめ!なんしてるだっ! ほうじゃねえって言ったじゃんけ!!」
「そかぁ右じゃねえ!左だっち言うてるだ!ばかたれ!!」

もう日常的に毎日こう怒鳴り付けられるわけだ 中にはこういう言われ方に耐え切れずに教官と揉めて途中で辞める教習生も居た 教習生は大体が10代後半から20代前半くらい、僕のような30代半ばがあと1人だけ居たが、例の教官と揉めて途中からは僕独りだけになってしまった 宿舎は教習所から歩いて7~8分くらいのところにあった旅館・・・それもなんだか裏のほうにあった20畳くらいの大部屋・・・そこに10人くらいの教習生が泊まらされていた もう11月の下旬だというのに部屋には暖房も無く、ちょっと大き目のコタツが一つだけ・・・そこに10何人が脚だけ突っ込んで放射状に寝転んでいた

食事がまた酷いの何のって・・・どうやったらこんなに不味く出来るのか・・・本当に「才能」を感じるぐらい不味かった 財布にちょっとはよとりのある連中はその食事をパスして近くのコンビニでハンバーガーやカップ麺なんかを買ってきて部屋で食っていた 僕はもうほとんど気持が「刑務所」に居るみたいになってたので(入ったこと無いけどね)不平も言わず出された飯を3度3度食っていた それはまだガマンできたのだけど、どうしても耐えられないものがあった 教習生の宿泊部屋にはテレビが1台だけ・・・それを全員で見るわけだけど、チャンネルの主導権はその中に居た2~3人のヤンキー連中のものだった どっちみち当時はNHKと地元のローカル局2つしか入らなかったので、ろくな番組は見られなかった ただ、ちょうどそのとき伊豆大島の三原山が噴火して全島民が避難する・・・なんて事件があって、その映像だけははっきり覚えている


それはまあ良かったのだけど、どうにも耐えられなかったのがその教習生の中の一人が持ち込んだラジカセ・・・そのラジカセで毎日毎日・・・同じ音楽ばかり聴くのだ 当時流行っていた「bowie」「レベッカ」などなどの j ポップを毎日・・・お陰で覚える気も無かったのに「ロンリーバタフライ」なんて曲覚えちゃったもんね(笑)

高円寺ライブハウス ペンギンハウス出演するには?

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