僕の八ヶ岳話 67

キャンプ場で過ごした3日間・・・それは今まで生きてきた中で全く味わったことの無い経験だった 広い会場の中には色々な「サイト」があった まずはBE-PALのスポンサー各社が開いていた様々なゾーン 「三菱自動車」は会場内に特設コースを設け、当時大人気だったオフロードカー「パジェロ」の試乗会を開いていた 核メーカーの展示ブースもあった 夜には会場に特設された野外ステージでコンサートも開かれた ある年には「憂歌団」が出演した

それは普段の生活から全く切り離された「異空間」だった

次の年にもその次の年にも僕ら家族はそのイベントに参加した 最初のときに僕がとても興味を惹かれたブースがあった それは「フリーマーケットサイト」というもので、参加者の誰でも自由にお店を出せて会場使用料も無いし、売り上げはすべてその出展者が受け取っていいことになっていた その頃僕はちょっと趣味を兼ねて色々な木工品を作っていた 2年目の参加のときそれらを試しに持って行って売ったら面白いように売れた 家族3人の参加費が浮いてお釣りが来るほどだった

それで翌年からはさらに力を入れた その当時から僕は「フィッシュカービング」にはまっていた それは木を使って作る魚の彫刻・・・もちろん題材はヤマメやイワナなどの渓流魚だ これがまた出品したら大繁盛! もはやすっかり商売として成立していた

そのさらに次の年に僕は新しい商品を開発した それは「フィッシュカービング制作キット」というもので、バルサを素材にしたそのキットはカッターナイフとサンドペーパーで誰でも簡単にフィッシュカービングができるというもの これを使った「教室」を開いたのだ これがまた大ヒットした 主なお客は小学生・・・彼らが教室に通ってる間にその親たちは自分の時間が持てるのでとにかく好評だった その頃僕もそのイベント会場ではちょっとした顔になっていた
毎年参加する人も多かったので、友達もできた 東京から来ていたKさん・・・すごく旧いジムニーに古着などを積んできてフリマをやってた初老の男性だったが、この人をはじめ何人もの友人がそこで出来た 夜になると僕らフリマ仲間は一箇所に集まって酒宴を開いた 僕はギターを持って行ってたのでそこでギターを弾いた するとなぜかキーボードを持って若い女の子が参加、ブルースハープを吹くおじさんなど・・・色々な仲間が集まって夜空の下でセッションが始まった

何年もそのイベントに参加し続けた僕らだったが、ある年の夏がやってくるころ・・・いつものようにまた「サマーミーティング」への参加の相談をしていた するとそこに娘が割って入った
「ねえ、今年は私行きたくない!」
驚いた僕は彼女に尋ねた
「え、どうして!?」
それに対する応えは実に明快だった
「もう飽きた!」

そうなのだ・・・彼女が生まれた年の夏から毎年夏といえば我が家の恒例行事はキャンプだけだった こうして矢島家のキャンプブームは終りを告げた

高円寺ライブハウス ペンギンハウス出演するには?

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