僕が東京に来た理由 1

僕ジミー矢島が東京に出て来てもうすぐ丸9年になる。その前吉祥寺で蕎麦屋「からまつ亭」をやっていた期間が8年半だったからそれも超える長さだ。なぜ僕が東京に出てきたか・・・この間ぼんやりと考え事をしてたらふと思い出したことがあった、その話を書こうと思う。きっかけはあの日の出来事だった。

2011年の3月・・・僕は八ヶ岳でそこで出会った多くの友人達に囲まれて楽しく音楽活動をやっていた。そして突然「あの日」がやってきた。その当時僕は地元にある製造工場で深夜勤の仕事をしていたのでまだ眠っていたのだ。震源地からはだいぶ離れていた我が家にも、これまで経験したことのない大きくそして異様に長い揺れが襲った。その直後から八ヶ岳エリアは丸一日停電、翌日やっと電気が復旧してその日はちょうど僕らは地元のライブハウス「パームスプリング」でライブの予定が入ってたので、そこに集まっていた。リハが終わった直後に緊急ニュースが飛び込んで来た。
「福島で原発の爆発事故発生」
いやーな予感が広がって皆暗くなったが、その晩はいつもより元気に演奏した。
その2,3日後だ。ちょうどペンギンハウスにも出演の予定が入ってたので僕は東京に向かった。 着いてみて驚いたのは街が暗かったこと・・・高円寺駅の構内も駅前の商店街も・・・ことごとく必要最低限の灯しかついてなく、裏路地を入った小さな居酒屋の赤ちょうちんが妙に目立っていた。 今思えば東京電力と政府の陰謀だったのだが、それ以上に驚いたのは東京の人達が皆暗い表情をしてることだった。別に水道もちゃんと出てるし「計画停電」にもなってないのに・・・ 写真はその当時のバンド仲間「ドクター諸我(中)」「パーム鈴木(右)」

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