僕が東京に来た理由 13

ペンギンハウスは「ジャンル」での制限が一切無いので本当にあらゆるジャンルのミュージシャンが出演していた。そしてここがスゴいのだが、どのミュージシャンも皆すごく個性的だった。特に弾き語りのシンガーたちは本当にすごくて”一人1ジャンル”と言ってもいいぐらいで、「この人に似ている他のミュージシャンは?」・・・と考えても見付けられないようなシンガーばかりだ。それぞれが自分独自の世界を持っていた。そして長い時間をかけてそれに磨きをかけることを怠らなかった。

ギターに使われる「スプルース」という木材があるが、これはアラスカやシベリアなどの寒い地域で育つ 寒いほど一年あたりの成長が遅い。そして、そういう厳しい環境でわずかずつ時間をかけて生育したスプルースほど木目の間隔が狭く、アコースティックギターの材料としては最上のものになる。ペンギンハウスにはいいスプルースがいっぱい育っていた。

そしてそういう彼らがここでどういう表現をしたいのか、目指しているのか・・・そういうものを感じ取ってそれぞれにそのプレイヤーが一番納得できる音でそれを手助けする・・・それも僕の重要な仕事になった。毎月とか常連で出てくれてるシンガーだったら大抵の曲の歌詞は僕の頭の中には入っていた。彼らは言葉で訴えていた。「孤独」や「絶望」や「希望」や「怒り」などなど・・・そして誰もが孤立していた。 そういった彼らをかすかでも結びつける役割り・・・それもペンギンハウスに求められていた。

そして、これは僕がペンギンハウスのPAをやるようになってわりとすぐに始めたのが「ライブレポート」だ。 これは僕が休んでいた日を除いてはほぼ毎日書き続けてきてつい最近2500回目を過ぎた。これにはお手本があった。僕が以前よくお世話になっていた三鷹にあるバー「バイユーゲイト」のマスターの上田さんがいつもそこの店でライブがあるとそのことを写真付きで丁寧に書いてくれてて、当時は一ミュージシャンだった僕はそれがすごく嬉しかったからだ。 そしてほぼ8年かかって今の数・・・さて3000回目は来るのだろうか?
とにかく僕はこれをどんな時でも続けてきた。時にはどうしても気分が乗らなかったり、体調が悪いときもあったが、それでも書き続けた。 後になって気が付いたのはこの膨大な記録こそがペンギンハウスの財産ではないかということだ。出演するミュージシャン1組ずつの活動を記録する「アーカイブ」として・・・8年続けてきた中でペンギンハウスに出演していたミュージシャンたちの中にはこの世を去った人が何人も居る。そういう時に「残しておいて良かった」と思った。だから僕はこれを最後の日まで続けようと思っている

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