僕の吉祥寺話  2

さて、世の中は1964年の東京オリンピックあたりで日本の経済成長に加速がつき「もはや戦後ではない」などとまだ沖縄がアメリカの統治下にあるのにそんな不遜なことを言う首相も居たりして日本全体が次第にお祭りのようなバカ騒ぎの時代に飲み込まれていった

吉祥寺の街も初めての大型ショッピングビル「名店会館」のオープンなどから(はじめてエレベーター、エスカレーターがあるビルで屋上には小さな遊園地が・・・地元の不良少年少女のちょっとした溜まり場になっていた)徐々に街全体に近代化と都市化が進んでいた

僕が中学3年のときに中央線が高架化 この時期の変化はすごいものがあった

注;名店会館はのちに取り壊され跡地に現在は「東急デパート」がある

風俗や文化の面ではビートルズの来日もあったりして「グループサウンズ」にはじまった「若者文化」なるものがむくむくとキノコのように発生しはじめていて、僕もその渦に飲みこまれないわけにはいかなかった(写真はザ・スパイダーズ)

その「天啓」のような出来事はある晩・・・とつぜんやってきた

それは1967年の12月・・・当時中学3年生の僕は夜な夜な「受験勉強」・・・と言いながら実際はラジオで「深夜放送」を聞くのを楽しみに机にかじりついていた 当時のラジオの深夜放送では「パックイン・ミュージック」「オールナイト・ニッポン」「セイ・ヤング」という3つの番組が人気を分けていて 今は話題の人になってしまった若き日の「みのもんた」なんかがパーソナリティーをやっていた 僕はナチ&チャコの「パックイン」が一番のお気に入りだったが、当時名DJと言われた糸居五郎(右写真)の「オールナイト」は面白い音楽をかけてくれるのでよく聴いていた まだ当時は自分で音楽をやるなんてみじんにも思ってなかったのだが

ある晩・・・どの番組かは覚えていないんだがDJが「ちょっと面白い曲があります」と言ってかけた曲・・・なんだか妙に甲高いギターの音にあわせて回転数を間違えたような(当時のレコードプレイヤーは33回転と45回転があって切り替えて使えた)声で始まった歌それは「オラは死んじまったダ~♪ オラは死んじまったダ~♪」というなんともばかげて不思議な歌・・・それが「フォーククルセダーズ」の「帰ってきたヨッパライ」だったのだ


その曲が全国に流された直後、あっちこちからすさまじいリクエストがあったようで結局その番組中でその曲が4~5回はかけられた

そのなんとも不思議な曲を作った彼らは一躍時の人となった そして「アングラフォーク」なるものが突然社会の表舞台ににょきにょきと筍みたいに出始めたのだ

これは今までの「音楽」とは何かが違う!・・・まだ少年で音楽にはそれほど興味のなかった矢島少年も漠然とそんなことを考えていた

そのあともそういった「ブーム」みたいなものに乗っかって色々な歌手が登場した 高石知也、岡林信康、中川五郎・・・などなど なかにはどう見ても「スパム」みたいな連中も居たがそういうものはすぐに消えていった 残ったものはやはり持ってる力が違ってた 当時はまだ70年安保の前・・・若者のパワーが「大爆発」をする季節の少し前だったが、なにやらタイヘンな時代が来そうな予感はあちこちでもう芽生えはじめていた

そして音楽にはほとんど興味のなかった僕がついにギターを手にする日が来るのだが・・・

その話はこの次に・・・続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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