僕の吉祥寺話 8

高田渡が吉祥寺にいる・・・その噂は「新譜ジャーナル」などの当時の音楽雑誌などにもちらっと情報が載っていたかもしれないが主な情報を僕は身近な人間から聞いていた

僕には2歳年下の妹がいた ニックネームはMEGと呼ばれていた彼女はその頃吉祥寺のミュージシャンたちと交流があった

高校を途中で退学していた彼女を僕の母は「不良娘」だと言っていたがその”不良”が出入りする怪しげな店が吉祥寺にあり”夜な夜な”そこに入り浸っては「悪い仲間たち」と付き合っているという話・・・

ただ、その店には高田渡をはじめ吉祥寺を根城にして活動するシンガーやミュージシャンたちがよく来ている・・・かすかな噂だが僕の耳にもそういう話が飛び込んできていた

そんな頃だ 確か「杉野講堂」かどこかで開かれたイベント こまかいタイトルは覚えてないが「ウディー・ガスリー」をトリビュートするイベントコンサートでそこに僕が当時かなり興味を持っていた「ガスリーチルドレン」と言われるようなシンガーたちが出演した

イベントは前半がジョン・フォード監督、ヘンリー・フィンダ主演の映画「怒りの葡萄」の上映だった この映画はスタインベック原作の同名小説を映画化したもので1930年代にアメリカのオクラホマ州を実際に襲った砂嵐による被害で土地を追われ新天地を求めて過酷な旅をする農民たちを描いたもので、ウディー・ガスリー自身もその境遇の真っ只中にいた人で「Dust Bowl Refugee」という彼のオリジナル曲にはまさにその過酷な状況が歌いこまれている

さて、休憩を挟んで第2部が始まる そこからは色々なミュージシャンが次々に登場した

高田渡、シバ、友部正人、遠藤賢二・・・たしかはっぴいえんども出てたと思うがその一番最後に演奏したのが当時高田渡やシバが中心になって結成されていたユニット「武蔵野たんぽぽ団」だった

それらのミュージシャンたちがステージで演奏するのを「うわあ、かっこいいなあ いいなあ」と観ていた僕・・・それからしばらくしてまさか自分が同じようなところに立つことになるとはその時は思ってもいなかった    続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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