さて、吉祥寺からその当時の日本の音楽シーンを引っ張っていたともいえる ぐゎらん堂
そこにはどんな人たちが居たのか ミュージシャンたちについては 前に触れたが、それ以外にも実にユニークで個性的な人たちが集まってた
まずお店の人たち・・・スタッフについて
まずはこのお二人だ ぐゎらん堂の創始者でオーナーの村瀬春樹&ゆみこご夫妻 というより「同士」というつながりを持つお二人
春樹さんはもうカリスマと言っていいくらい店に来る全員に対して大きな影響力を持った人だ 音楽も芸術も文学も・・・彼の造詣の深さと感性の豊かさ鋭さにここに集まってる誰からも本当に「カリスマ」として慕われていた 美空ひばりとR&Rを愛す彼にはみんな本当に影響を受けた
現在70歳を超えられてもまだ元気、そして信じられないくらい昔と変わらない いつまでも僕らのカッコイイ”兄貴”なのだ
そして、相方のゆみこさん もうぐゎらん堂に来ていた男どもはどんなに荒くれていてもゆみこさんにかかればすっかり大人しい子山羊のようになってしまう とても優しくクレバーな女性だが思ったことは歯に衣着せずズバッと言う そのかっこよさに憧れていた女子がまた多かった
その”筆頭”にあげられるのはぐゎらん堂に最も長く勤務していて「大番頭」ともいえる男 通称「中卒」だ とにかく彼の存在感(体格も含めて)と発言力影響力はものすごく ほとんどぐゎらん堂のドンともいえ、おまけに好き嫌いがすごくはっきりした男だったので彼に嫌われたら絶対に入れてもらえない・・・そういう不文律みたいのがあった でも、根は面倒見がよくて無名のミュージシャンのこともずいぶん応援してくれていた 僕は彼には本当にお世話になっていた
そしてそのほかのスタッフは歴代数多くいたので名前だけの紹介にさせてもらうが・・・
「ミヤドウ」「スケベ」「チュウジ」「シミズ」「キヨシ」「ムカイ」「チビクロ」・・・う~んまだまだ一杯いたのだが 女性は割りと固定していて僕が覚えてるのは「おおきいエミ」「ちいさいエミ」「キョウコ(右)」ぐらいだったかなあ・・・
とにかく全員強烈なキャラの持ち主で負けず嫌いそして自己主張のカタマリみたいな人間ばかり・・・というのもぐゎらん堂にやってくるそれこそ有象無象に個性の強いお客の相手をするにはまず「強さ」その次に「個性」すうっと下がって「優しさ」が求められる・・・ということだったのだろう
そういうわけであそこに通うことになってからしばらくの間、僕の存在感はまあ霞んでいたねえ(笑) 最初は名前すら覚えてもらえなかったわけで、それにはある”事情”もあったのだが・・・そこらへんの話はまた次回
続く
高円寺ライブハウス ペンギンハウス