僕の吉祥寺話 19

僕の歌うたいとしての初舞台はやはり吉祥寺ぐゎらん堂だった

今思うとあの時代・・・僕は本当に恵まれていたと思う

オリジナルの曲は19歳の頃から書き始めていた 当時「現代詩」をずいぶん読んだなあ・・・

谷川俊太郎、ラングストン・ヒューズ、アルチュール・ランボー、金子光晴、山之口獏、長田弘、黒田三郎、吉野弘・・・まだまだ

ギターにはそこそこ自信はあったが曲・・・それに歌にははっきり言って自信がなかった

今、当時の僕の演奏の録音が残念ながら残っている 僕としてはすべて「無かったことに」したいのだが(笑) それを今聴くと本当に冷や汗脂汗がどっと出る・・・恥ずかしい!こんなレベルで僕は人前に出てしまったのだ!

そんなシンガーのまだまだ駆け出しの卵の殻みたいな僕をぐゎらん堂は受け入れてくれた

当時、毎週水曜日に開かれていたライブ・・・それは「水曜コンサート」という名前で平日の水曜日のそれも夕方の5時から・・・という今では考えられないような時間帯で開かれていた

そこには有名なプロから僕のような無名の駆け出しまで、さまざまなミュージシャンが出演していたが、今でも本当に不思議に思うのはそんな無名で駆け出しでしかも下手くそな僕の演奏を観に来てくれる人たちが毎回10数人は居てくれたことだ 当時は「ぴあ」や「シティーロード」などの情報誌はまだまだ発刊されていなかった 勿論ネットでの情報なんてまだSFドラマの話ぐらいの時代だったのだ

そして本当に下手くそな僕の演奏をそれなりに真剣に聴いてくれて色々な感想やアドバイスをくれる人たちが居たということ・・・これは本当に今思い出すと「何ていい人たちだったんだろう」と思う

もちろんそれに輪をかけてまた黙って僕や無名のシンガーたちに場を提供し続けてくれていた春樹さんや中卒の”温情”にはひたすら感謝感謝なのだ

今、ペンギンハウスでも本当に実力や才能があって一生懸命がんばっているミュージシャン達を見ていると「あの時代」の自分がどれだけ恵まれていたのか・・・しみじみと感じる

だから今・・・このペンギンハウスで僕が少しでもそういう役目をすることができたら・・・

そんな思いで僕は今ここにいる あの吉祥寺の70年代が僕に与えてくれたもの・・・それに少しでも近いものが今無いだろうか・・・そんなことを考えながら

ここのところずうっと自分の話ばかりしてしまったのでここらで話題を変えて次回から当時の吉祥寺の街についてもちょっと話していこういと思う・・・まあ僕が見た景色だけどね

続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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