僕のブルースマン列伝 27

さて、今日のブルースマンは T・モデル・フォード T-Model Ford

「T-Model Ford」というのは元々アメリカのフォード社から1908年に発売され、以後1927年まで基t本的なモデルチェンジのないまま、1,500万7,033台が生産された[2]。4輪自動車でこれを凌いだのは、唯一2,100万台以上を生産されたフォルクスワーゲン・タイプ1[3]が存在するのみである。その廉価さから、アメリカをはじめとする世界各国に広く普及した。「Wikipedia」から抜粋

その名前をまんまステージネームにしていた男・・・それが彼だ

フォードシンガー/ギタリスト。ヒル・カントリー・ブルース。1924年ミシシッピー州生まれ。本人の談では63年以来グリーンヴィルに定住。自身の弾き語りとスパムのドラムだけのファット・ポッサム97年<Pee Wee Get My Gun>、同98年<You Better Keep Still>ほかがある。98年暮に来日。[ブルース人名辞典]より

ミシシッピーDeltaBluesMan、”T-Model” FordことJames Lewis Carter氏が16日 呼吸器不全でなくなられました。 2008年からは心臓のペースメーカーをつけ、10年には2回も脳卒中にみまわれたにもかかわらず 08年から一緒にやっていた GravelRoad(シアトルのバンド)とのツアーを終わりまで続けて昨年に再度、脳卒中を患いましたが、活動は減らしたものの継続し、 King Biscuit Blues Festivalに出演したりしていました。

彼は80年代の初めに50才台の終わりで初めてBluesの世界入り。それも5人目の奥さんが彼の元を去る時にギターをくれて、彼は それで好きだったMuddy Waters や Howlin’ Wolfをまねて練習したようです。 デルタのJukeJointでソロ或いは唯一の相棒Dr、Tommy Lee Milesと 一緒に演奏を続け、バディーガイのOpeningActをやったことで評判をとり、FatPossumRecordsと契約して、 デビューアルバム・1997:Pee-Wee Get My Gun、2002:Bad Man 等5枚のアルバムを録音しました「Ain’t Nothing But a Blues」より抜粋

まあこの人のキャリアやブルースを始めた年齢などもびっくりするような話だがとにかくこんなイナタモデルい人がつい最近まで生きて実際活動していたことにびっくりする

以前見たドキュメント番組で「ブルースの歴史を旅する」みたいなタイトルだったが、チャーリー・パットンが働いていた「ドッカリー農場」やロバート・ジョンソンの墓なんかを訪ねて回るんだが、その道中のミシシッピーの田舎の風景があまりにも殺風景で侘しく貧しいのを見てるといまだにこういうDeep South にはブルースが残ってる・・・というよりは必要とされてるんだなあ・・・とつくづく感じたのだ

それではRLバーンサイドととともに今は亡き彼の演奏をごらん下さい

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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