僕の吉祥寺話 42

ガンさんの30歳を過ぎてのキングベルウッドからのファーストアルバムのタイトルは「青空」と決まっていたアオゾラ

そして、1976年の7月26日 確か池袋の近くにあったキングレコードのスタジオで録音が始まった 並み居るメンバーが揃う・・・それぞれの曲ごとにメンバーのうちからアレンジャーが決められ、その人を中心にレコーディング作業が進められた

僕は当然「吉祥寺組」だったので、周りは村瀬雅巳(b)佐久間順平(mandlin)中川イサト(ag)松田アリちゃん幸一(harp)村上律(steel g)ヤスト(harp/ag)など親しい顔ぶればかりで、スタジオの雰囲気も和やかだった

そこへヤストに連れられて一人の青年がやってきた 痩せ型で眼がぎょろっとして髭の濃いちょっと神経質そうなその若いピアニスト・・・名前はサカモトといった

そしてレコーディングの作業が始まった それぞれの持ち場に着くプレイヤーたちスタジオナカ

譜面が配られ、パートの説明がアレンジ担当者から全員に伝えられる

マイクチェックをし、何回かのテストをし,まずベース、ドラム、ピアノ、ギターなどのリズムセクションの録音が始まる

こうした作業が一日中繰り返される 録音した音源をプレイヤーたちはコンソールルームへ行くかあるいはその場でヘッドホンで聴きチェックをする

「どうだ?」・・・・・・・・・・・・

誰かが応えるまでの無言のスタジオはイヤになるほど静かだ 「う~ん、大体いいんだけスタジオブースど・・・もう1回やろうか」  ふうっとため息をつきながら演奏者たちは再びスタジオに入り楽器を手にする

「レコーディング作業」というのはじつに味気なく地味でシビアで根気の要る作業だ

全員がひとつの「納得」というポイントに到達するか「もうこれ以上はムリ」というところまで追い詰められるか・・・それまでこの作業は延々と終わることがないような気分になる

さて、新しくメンバーとなったサカモトくん・・・そのピアノは本当にすごい上手さ、それは鬼気迫るピアノぐらいのテクニックと音楽性の懐の深さをまわりの誰もが認めるぐらいのインパクトがあった

僕も心の奥でこう囁いていた「この男・・・天才だわあ」

その才能はピアノだけでなく、曲のアレンジでさらに凄さを皆に見せ付けることになる

「3月31日」というガンさんのオリジナル・・・この曲でサカモトくんが見せ付けたアレンジにはみんなびっくりしたのだ 元はよくあるタイプのスロウなバラード曲だったのだが、彼がほとんど独りで演奏した数多くの楽器それはオルガン、カリンバ、それに見たこともないような民族音楽の打楽器や小物を使ったこの曲はまるで「現代音楽」のような不思議なテイストを与えられた

「すごいなあ・・・」 周りの誰もが彼の才能に目を奪われたダレモ

その腕前を周りが放っておくはずがなかった すぐに友部正人が彼に声をかけ、なんとガンさんのアルバムが出来る前にこのサカモトくんをピアノに迎えた友部のニューアルバム「誰もぼくの絵を描けないだろう」が発表された

そして、もうひとつ大事なことがあった このレコーディングにはあの細野晴臣も参加していホソノたのだ

当然サカモトくんはこのとき一緒にレコーディング作業をしていたわけで・・・

そう、ここまで見てくれた皆さんはもうおわかりだろうし、その後彼がどうなったのかも僕より知ってるでしょう

彗星のように現れた天才ピアニスト・・・サカモトくんのフルネイムは坂本龍一 というサカモト

続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする