僕の吉祥寺話 58

結局高田渡というシンガーにとっての音楽って何だったのだろう 人前で歌ってないときの彼は意外に「ギター小僧」だった ステージでは何となくいい加減に弾いてるように見せてたが、実はギターは上手かった・・・というのは中川砂人氏も言っている

ギターや楽器の話をするのが大好きだったマーチン
以前僕の目の前でナントカという南米の民族音楽のギタープレイを「これが難しいんだよな」と言いながら得意気に披露したり、僕がちょっとトリッキーなギター弾くと「今のどうやって弾いたんだ?」と目を丸くして食い付いてきたりしてた

右の写真は彼が最後に使っていたMARTIN D-45 やはり亡くなっていた彼と親しかったギタリスト坂庭省吾から形見として引き継いだもの・・・今は誰が持ってるんだろう・・・

彼自身の一番理想的在り方はジャーナリストとして活動をしながら、たまに趣味でギターは弾くと・・・そんなことだったのかも知れない
と ころが、彼の望むと望まないとに関わらず「フォーク界の大御所」という看板、あげくは「破滅型飲んだくれシンガー」というレッテルを貼り付けられ自らもその役を演ず ることを良しとしてしまった・・・ここに彼の悲劇があるのだけど・・・でも本当に苦痛だったら辞めれば良かったんだよ渡ちゃん

あなたはこの日本の音楽の社会に良いことも悪いこともした
良いことはこの僕も含めた多くの若者に「曲を作って人前で歌おう」という気持ちにさせまたそういう何人かに舞台を用意してあげたことなどわたさん・・・
悪いことはやはり多くのシンガーに「酒飲んで酔っぱらっていい加減に歌っていいんだ」という幻想を与えてしまったことなど・・・

その後遺症はいまだにこの高円寺のライブハウスにも残ってるのだ

だいぶ前だけど、ベロンベロンに酔っぱらって最後は本人が自分で何やってるのか分からなくなってしまったプレーヤーを僕は怒鳴り付けてステージから引きずり降ろしたことがある
そんなことをしたのは前にも後にもそのときだけだが、その時僕は悲しかったのだ
そんな「負の遺産」は引き継いで欲しくない・・・本当にそう思ったのだ

ああ、まだまだ話したいことがあるけどあとはまた明日・・・ 続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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