僕らの北沢話  7

東北沢のアパートには当時色々な人々が訪れてきた ひとつにはこの空間が持っていた(その当時の僕らは意外と気づいていなかったが)独得の「磁場」というか「引力」みたいなもの・・・つまりScan0015「何か面白いこと」がつねに起こりそうな予感を持たせるものがあったのだろう

あとひとつは仲田修子というカリスマ性をすごく持った人物が人々を引き寄せていた部分がすごく大きいと思う その当時僕は彼女のことを「宇宙人じゃないか」と思ってたくらいだ(笑)
*右写真はかなり若い頃の仲田修子 左の男性は・・・わかったかな そう、当時の亜郎です!

本当にさまざまな人たちがやって来ていたが、その中でも頻繁に訪れる友人が何人か居た東北沢駅

*写真は昔の東北沢駅 こんな昔ではなかったが当時の駅とその周辺はこんな感じだった

弾き語りシンガーのKと彼と一緒にユニットを組んでいたHなんかよく来ていた なぜ彼らをイニシャルで表わすか・・・その理由は後日明らかにすることにして、あと「A次」・・・えいじと読む・・・という青年はぼとんど毎日のように顔を出していた 彼も当時ギターを弾いて歌を歌っていた

ある日そのA次がやってきて僕にこんなことを言う 「ジミーさん、今日俺配達中に道ばたのゴミ捨て場で変なギター拾ったんだよね・・・なんか穴がないんだよ」

その話を聞いて僕はピンとくるものがあったので彼にこう言った「へ~え、どんなギターだか見たいね 今度持ってきてよ」 「あいよ」

翌日彼が持ってきたギターを見てやっぱり僕の予想が当たってたことが判明した

それはアーチトップの「ピックギター」だった かなり旧そうだったが造りがすごくしっかりしている

よく見るとトップは合板ではなく単版の削り出しだ これはかなり高級なやつだぞ ヘットにはなんと漢字で「木曽」と書いてある かなり古びて汚れてはいるがこれは手入れしたらいいギターになる! 僕は彼に言った 「ねえこのギターは君には無用なものだよね~ もし構わなければ僕が引き取ってあげようか」 彼は少し考えたが「いいよ」とあっさりそのギターを僕に渡した

内心「やった~!}と飛び上がりたくなるのを抑え僕はそのギターを受け取った

この「木曽弦楽器」のピックギターは今でも僕の自宅にある もう木が乾燥しきって今はもう隠居さからまつ楽団せているが、僕がやっていた「からまつ楽団」ではレコーディングに使った 今では考えられないくらいいい材料が使われている

さて、仲間たちの話に戻ろう あと「みっちゃん」という女性がいた 彼女はジャズボーカリストで修子とは旧い友人だった 彼女もよく遊びに来ていたが、ある日一人の若者を連れてやってきた

その若者が・・・

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする