仲田修子;ダウンタウンブルース  6

最初の日から、私はとにかく声が良い、と言われた、自分でもそうかもしれない、と思った、その店は高級な音響機材とマイクを使っていた。東中野のそれがいかにひどいマイクセットだったのかという事もわかった。 ドイツ製の高いマイクで歌うせいか、私の「声」はものすごく評判が良かった。澄んだ高音から低い地声まで、自由自在に出せるような気がした。
「君の声は、ドラマティックソプラノというのだろうね」
そんな事を言うお客もいた。
その店はカウンター七席、あとボックス席、合せて三十人も入れば満杯になる位の広さだった。た 銀座だし内装はシンプルで格調高く、ゆったりとした作りになっていて、ホステスなどはむろんいなくて、黒いロングスカートを履いた女の人が三人、ウエイトレスをやっていた。彼女達は絶対客の席に座ったりはしなかった。

客層は若手エリートサラリーマン、出版社関係の人、大企業の重役が時々一人で飲みにくる、それと有名人が時々来る…そんな店だった。
入ってすぐ、私の苦難は始まった。リクエストだ。色々なお客が色々なリクエストをするのだった。ほとんど英語の歌だった。
私は安いレコードプレイヤーとスピーカーを買い、レコードを聞いた。有名なスタンダードが沢山載っている分厚い譜面の本も買った。
歌詞の意味なんて考える暇は無かった。とにかくリクエストがあった曲のシングルを買い、早いテンポの曲は四十五回転のレコードを三十三回転に落として発音を覚えた。…どんどんレパートリイは増えていった。だが、私の苦しみはそこからだった。
「君の歌い方は何だか変だね」
「何か、デタラメに歌っているみたいな気がするんだけれど」
そう言い出すお客が少しずつ増えてきたのだ。
その店にはピアノのタイバンがいた。タイバンというのは多分交代バンドの略だと思うのだけど、私が三十分間、ギターを弾いて歌うと、今度は三十分間ピアノの演奏が始まる、そういうシステムになっていた。
その時のピアニストは吉田さんという女の人で、今で言う帰国子女のハシリみたいな人だった。おピアノ演奏客や店の人の話を総合すると、彼女のお父さんというのはどうやらすごく偉い人らしく、彼女は小学校の低学年から高校を終るまでニューヨークで育って、それから日本の、ピアノではトップといわれている音楽大学のピアノ科を出た、という話だった。
彼女のピアノはものすごくうまかった、ピアノの生演奏なんてそれまで一度も聞いた事のない私にすら、それはほとんど本能的にわかった、第一彼女は譜面など一切見ないのだった。すごく小さな紙切れに曲のタイトルだけを書いて譜面台にちょこんと乗せ、流れるようなメロディを繰り出すのだった。

 高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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