仲田修子;ダウンタウンブルース  12

仕事は楽で、むしろたのしかった、お客はみんな素朴そうな人達で、私の歌で本当に楽しそうに踊り、私のギターで次々に歌った。その店で、初めて私は前にいた銀座の店が、いかに、色々な意味でものすごいテンションの高い所だったのか、つくづく思い知らされた、前の店ではまずお客が、オーナーが、マネージャーが、バーテンダーまでもが私の歌を批判し、批評し続けていた。
その「ホストクラブ」で、そんな事をする人は一人もいなかった。みんなただ無心に楽しもうとするだけだった。
ただその店は、私にとってただ一つ欠点があった、とにかく遠いのだ、それだけならまだしも、演奏が終るのが午前三時半、それから歩いて駅へ向う、駅には屋根はおろか、ベンチすら無かっ無人ホームた、さらに悪い事に真冬だった。誰も居ないプラットホームで、私はガタガタ震えながら何十分も、始発電車がくるまで立ちつくすのだった。
私は次々にハコを変えた、星さんの言うとおり、ぜいたくを言わなければ何とか仕事は入ってきた。
あるハコでは、マスターが学生時代バンドでベースをやっていたということで、店にエレキベースとアンプが置いてあり、その人はよっぽど忙しくない限り、私の歌とギターでベースを弾くのだった。最初心配だったけれど、その頃の私は譜面さえ見ていれば、「食ったり」、「吐いたり」するような事は無くなっていて、それにさらに磨きがかかった。銀座をやめてもう一年位たっていた、ジャズピアノも、スタンダードの五、六曲、がやっと弾けるようになっていた…私は二十四才になっていた。
昼間、一人で弾き語りの斡旋をやっている老人から電話がかかってきた。
「錦糸町のクラブなんだけどね、ギャラは月十三万。ホステスのいる店なんだけどね、オタクは化粧もしないし、いつもズボンを履いてるけど、先方はかまわないって言うんだ」
「私は絶対お客の席にはつきませんけど」
「それはもうわかっているよ。大丈夫、でね、テストの日なんだけど」
キンシ テストというのはオーディションの事だった。私は楽々と合格した、他に二人、男の弾き語りが来ていたけれど。
こうして私は錦糸町のクラブへ通う事になった。

 高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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