僕らの北沢話  13

第二回目の「ツッパリング」のとき、瀬山研二はすごく嬉しそうにカンフー服を着てやってきた

大人しい普通の青年・・・だと思ってた僕らはそれがまったくの誤解だということに気づいた

彼はそれまで北沢アパートに来た誰よりもエキセントリックでかなりぶっ飛んでいた それもそのはずでクラブのハコバンドのドラマーというのは世を忍ぶ仮の姿で、実際は日本でも有数のフリー3d7facbffee7235ceef3de514e7dd39eジャズギタリスト高柳昌行などと一緒に活動するバリバリのインプロ系ドラマーだったのだ

そして前回たまたま居合わせて参加したA・・・彼もまたクラブで演奏するピアニストだったのだが、あのツッパリング以来っすっかりそれが気に入ってしまったらしく仕事場にもリーゼントヘアーで行きお店の人からの「それはやめてほしい」という忠告も聞かずとうとう店をクビになった・・・という噂をあとで聞いた(笑)

その後、ツッパリングはまた3回ぐらい行われたらしい・・・僕も何度かは参加していた

さてさて、こんなことを書いてるとまるで当時の僕たちはただ遊び呆けていたばかり・・・そう捉えられてしまうかも知れない・・・まあ大方そうだったけど

まじめなこともやっていたのだよ

その一つが僕が彼らと出会う前からずうっと行っていた「ロウソサエティー月例コンサート」というイベントだ

これはどういうものだったかと言うと吉祥寺の井之頭公園のなかにあった(今でもある)野外ステー103ジを借りて毎月一回ずつのフリーコンサートを開いていたのだ

「ロウソサエティー」というのは正式には「ロウソサエティー企画室」という名前で、仲田修子がリーダーで色々な音楽などのイベント企画をやっていた集団で、実は今もペンギンハウスを経営しているのはこの名前の会社なのだ

ロウソサエティーというのはもちろん「ハイソサエティー」に対じする言葉で、とにかく誰のお世話にもならずにささやかではあっても独立独歩、一切の迎合はしないというポリシーで出来上がっていた

この月例コンサートは今ではもう珍しくはなくなったが完全なフリーのオープンマイク形式をとっていた まず出演希望者は当日までに電話とか直接申し込んだ順に誰でも、参加費は無料、ジャンルは一切関係なし、オーディションなどは行わない・・・というスタイルを一貫して貫いていた

このジャンル関係なしというのは修子の「そもそも芸事や表現にジャンルなんて関係ない」という哲学が生かされている

この毎月のコンサートのためにハコで稼いだ資金でPAセットを購入し、野外ステージの使用料金を公園事務所(東京都)に支払い、当日の搬入やセッティングそれに受け付けや司会進行まですべてこちらでやる・・・そういうことを何年間にわたって毎月やっていたのだ

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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