僕らの北沢話  22

デパートの屋上で開かれていたイベント・・・たとえば「青空コンサート」とでもタイトルが付いてたのだろうか・・・どうかは知らないが、あることが原因でしばらくして打ち切りとなった

と言うのはそのイベントの企画をしていたそのデパートの社員のAが会社から「出演者のギャラ」として出ていた経費を着服し出演者には実際の半分以下、ひどいのにいたってはまったくギャラゼロという状態で出演させていた・・・つまり「ピンハネ」をしていたわけで、風俗業の悪徳マネー09ac921dジャーのようなことを行っていたことが発覚し、彼は「懲戒解雇」になりこのイベントはあえなく終了してしまった まったく悪いことはできないものだ

そしてAと付き合いのあったMも当然ここから追い払われたわけで、これで修子たちとのかかわりもエンド・・・になるはず・・・なのだが実はそのときそれと並行して別のプロジェクトでMは僕らと関っていたのだ

それは「レコーディング」 修子はこのときすでにあるプロダクションに所属していてそちらのマネージメントを受けていたのだが、Mの「僕がプロデュースしたい」という申し出を事務所側も受け入れて、あるレコードレーベルからアルバムを出そうという動きが始まっていた

当時Mは現役のプレイヤーとしても活動していたが、ある音楽プロダクションに所属していてその当時からプロデュース的な仕事も始めていた 実は僕もその前にMから「よかったらうちの事務所の所属にならないか」と誘いを受けてそこの事務所まで行ったことがある

ところが、その事務所の社長というのが超感じの悪い男で昔カントリーの世界でギターを弾いててDSCN0368けっこう大御所だったらしいのだが、ぼくがその事務所に行き社長室に通されると、奥のデスクにカウボーイブーツを履いたままの足をデーンと乗っけてイスにふんぞり返って信じられないぐらい横柄な言い方で「何だ、俺になにか用か?」と言った

僕はそのときどんなにいい待遇が受けられるかどうかは知らないがたとえそうだとしてもこんな男に頭下げて仕事貰うくらいなら飢え死にしたほうがマシだと思い

「いいえ、何も用はありません」とだけ答えさっさとその事務所を後にした

そういう経験をしていたので、正直Mが修子たちに近付いているのにあまりいい気分はしなかった

その僕の心配は危惧に終わればいいが・・・そう思ってたのだが

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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