ギターを弾こう   52

1950年代になると黒人のリズムアンドブルースが白人のカントリーミュージックと結合し「ロカビ50s-dance-party-rockabilly-vintage-Favim.com-223051リー」R&Rが発生 白人と黒人のリズムが融合すると同時にそれまでの黒人独得の「シャッフル」「ブギ」などから白人が取り入れ易い「エイトビート」リズムに変化していった

その代表格がチャック・ベリーで、彼の作りだすビートは元々はブルースマンだった彼が最初にヒットさせた「メイベリン」がカントリーソングの焼き直しということもあって白人の若者には入りやすいものだったのだ

しかし当時の白人社会は今では信じられないほど保守的で、このかなり薄められたとはいえ黒人の持つビート感覚およびダンスの動きを白人の若者が受け入れることに大きな反感も生まれた

その一番やり玉にあがったのが当時の白人ロカビリーシンガーの中で一番「黒っぽさ」を持っていelvisたエスビス・プレスリーだった
彼が歌うとき見せる身体の特に腰の動きを「下品だ」とか「わいせつ」だとか批判し徹底的に攻撃の的にした 彼自身は「少年時代に通っていたパプティストの教会(黒人が多かった)の説教師の動きを真似た」だけだったのだが、北部の特に都会の大人たちにそんな言い訳も通用せず 結局何度か出演していた「エド・サリバン ショウ」でも最後は視聴者の批難に負け演奏するエルビスの上半身だけを映すという情けない対応をせざるをえなかったのだ


不思議なのはエド・サリバンはその前後も黒人の音楽にはすごく好意的で当時の「モータウン系」32447d64f48bc6dbca76ef76392d2943の多くのアーティストが出演していたのだが 「それとこれとは別」という考えが当時のアメリカ人の一般常識だったのだろう


6537053最初は伝統的な「ジルバ」「ルンバ」などのダンスパターンをアレンジして踊っていた当時の若者たちの間から徐々にまったく新しいダンスのスタイルが生まれてきた その代表的なものが「ツイスト」だ これはアメリカを発信に世界中に広まって日本でも大ブームを巻き起こした 当時のR&Bシンガーの「チャビー・チェッカー」などはもろにこのダンスをタイトルにした曲で一躍スターになった


また、これをベースにして50年代ごろからさまざまなダンスのパターンが生み出されてきたがそのバリエーションはもう数えるのが難しいほどだった
1970年に公開された「ブルースブラザース」という映画を観たことあるかな ここで紹介するのはその中の1シーン
rewi
ブルースブラザースたちが訪れた楽器店 その主人はあの「レイ・チャールス」が演じてるのだが「このキーボード、ちゃんと鳴らないんじゃない?」という彼らに「そんなはずはない、ちょっといいかい」と言ってキーボードを弾き歌いだすレイ
the-blues-brothersすると彼の歌に合わせて表の通りを歩いてた人々が踊りだす・・・というミュージカルスタイルなんだが、そこでレイが「ツイスト!」「モンキー!」「ブーガルー!」「スイム!」などと次々とダンスのスタイル名を叫ぶ するとそれにあわせて皆がダンスのパターンを変えてゆく・・・というシーンで僕が数えただけでも13パターンぐらいあったと思う

ついでだが、その中でレイが「マッシュポテト!」と言うのだが、これがダンスのスタイルだったことに僕はそのときはじめて気がついた

image3665というのも僕が少年だった頃の60年代に「弘田三枝子」が歌って大ひっとした「ヴァケーション」というポップナンバーの歌詞に「マッシュポテトを水辺で あの人と踊ろう」という箇所があって「なんでマッシュポテトを水辺で食べて踊るんだろう?」ってずうっと思ってたんだよね(笑)

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする