ギターを弾こう   53

とにかくこの50~60年代にものすごく多くのダンスが生まれては消えていったのだけど、これらのダンスがそれまでの一般的なダンスと根本的に違っていた一番の部分てどこかわかるかな?
それはそれまでの「社交ダンス」と違って男女が組んで踊るのではなく1人1人がそれもかなり自由The-Twist-008な形で踊るようになったってことだ これはやがて60年代になって「ゴーゴー」さらには「ディスコダンス」というものになるとますますその色合いが濃くなってゆく 1950~60年代ってアメリカのダンスの歴史の中では「黄金期」だったのかも知れないね

でも、前に白人と黒人のリズムの捉え方のところでも触れたように一見すごく接近していた両者のダンスがその後また違う道を歩みはじめる

一旦は「ロカビリー~ロックンロール」という形で白人と接近していた黒人コミュニティーもこの頃かhqdefaultらはっきりと白人社会とは袂を別つ方向性を出しはじめる
それは「ゴスペル音楽」をルーツとして発展してきた「ソウルミュージック」の台頭だ
それまでの「ブルース」や「R&B」とは違いはっきりとアメリカンブラックとしての自覚と誇りそして今まで自分たちを虐げるだけだったアメリカの白人社会に対する反発・・・やがてそれは「黒人暴動」や「黒人人権運動」などにも繋がってゆくのだが、あまりそちらには突っ込まずに音楽とダンスの話に戻ろう

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そう、ブルース→R&B→ソウルと変貌をとげながら彼らの音楽とダンスのパターンはどんどん変化してゆく 黒人の社会ではR&Bからソウルファンクなどさらにビートの深いものへ⇒JBなどに代表される 3連より裏拍子を深く取った16ビートへ進化してゆく


1970年代ぐらいに白人がそれを取り入れるが、いわゆる8ビート×2という意識のほうが強く黒人たちの持ってるビート感覚とは異質なものになってゆく

黒人たちが新しいリズムステップを編み出しそれを薄めたかたちで白人に広まってゆく 60~70年代にわたってアメリカで人気のあったテレビ番組「SOUL TRAIN」は日本でも放映されていて僕はこの番組が大好きでほぼ毎週見ていた 何が面白かったかというとその番組の中で一般の黒人男女がダンスを披露するコーナーがあって、次々と出てきて踊るのだがそれがまたそれぞれ個性的で素敵でかっこよくて僕も画面のこちら側で畳の上でそのステップを真似てみたりしていたのだ 僕がダンス好きなのはここらへんに原点があったのだと今でも思う

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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